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東京地方裁判所 昭和38年(行)86号 判決

原告 大橋光雄

被告 文部大臣

訴訟代理人 成田信子 外四名

補助参加人 学校法人名城大学

主文

原告が学校法人名城大学理事の仮の地位にあることの確認を求める訴えを却下する。

その余の訴えにつき、原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一申立て

一  原告

(一)1  (主位的に)被告が昭和三八年八月二二日学校法人紛争の調停等に関する法律にもとづき原告に対してした学校法人名城大学の理事および評議員の解職処分は無効であることを確認する。

2  (予備的に)前項の解職処分を取り消す。

(二)  原告が学校法人名城大学理事の仮の地位にあることを確認する。

(三)  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

(一)  原告の(一)の請求をいずれも棄却する。

(二)  原告の(二)の訴えを却下する。

(三)  訴訟費用は原告の負担とする。

第二主張

一  原告の請求原因

(一)  原告は、昭和三八年八月当時補助参加人学校法人名城大学(以下、補助参加人あるいは学校法人名城大学という。)の理事および評議員をしていたところ、被告は、同月二二日学校法人紛争の調停等に関する法律(昭和三七年法律第七〇号、以下、本件調停法という。)一〇条四項にもとづき原告に対し右理事および評議員を解職する旨の処分をした(以下、本件解職処分という。)。

(二)  しかしながら、本件解職処分は次に述べる理由により無効である。

(1) 本件調停法は憲法二二条一項に違反し無効であるから、本件解職処分も無効である。

本件調停法一〇条は、学校法人紛争調停委員による調停が成立しなかつた場合等において、当該学校法人に対し右調停の当事者であつた役員または評議員を解職すべきことを勧告し、あるいは右役員または評議員に対し辞職すべきことを勧告する権限を所轄庁たる被告に与えるとともに(同条一、二項)、右勧告が実現されない場合には、「当該学校法人の正常な管理及び運営を図るため他に方法がないと認めるとき」という要件のもとに右勧告にかかる者を解職する権限を被告に与えている(同条四項)。

ところで、憲法二二条一項は職業選択の自由を保障しているが、学校法人の理事または評議員が行政権によりみだりにその地位を奪われないことも職業選択の自由に含まれるというべきである。すなわち、国家資本によつて事業の経営が行なわれている場合は格別、そうでない場合には(学校法人名城大学もこの場合にあたる。)、役員間に紛争が生じたり、あるいは役員の事業経営が下手だからといつて、行政権によりその役員の地位を奪うことは許されないのである。仮に、私立大学の経営に公共性があるとしても、それは国家事業を行なうような意味の公共性ではなく、いわゆる社会的公共性にすぎないから(この意味において国家が私立大学の経営に補助金を与えるのは憲法八九条に違反する。)、行政権が私立大学の経営機構に干渉することは許されず、また、仮に、その公共性の故にある程度国家の監督が及ぶことを認めるとしても、行政権が私立大学の理事等の地位に干渉しうるのは、その者が法律に違反したとか、あるいは不正行為をしたとかいう場合に限られるべきである。

したがつて、本件調停法一〇条四項は、憲法二二条一項の保障する職業選択の自由を侵害するものであつて、無効というべきである。

(2) 本件調停法は、学校法人名城大学の紛争にのみ適用する旨の黙約のもとに制定された特殊立法であつて、このように単一事件の解決のみに資するものは憲法で認められた法律とはいえないから、無効である。したがつて、本件調停法にもとづく本件解職処分も無効である。

(3) 本件調停法一〇条四項は、学校法人の理事ないし評議員が紛争の解決を訴求し、すでに裁判所の判断が示されている場合には、適用されないものと解すべきである。

ところで、原告は、学校法人名城大学を被告として、原告が同大学の理事および理事長の地位にあることの確認を求める訴えを提起し、本件解職処分当時、右事件は名古屋高等裁判所に係属していたものであり(昭和三七年(ネ)第六三四号、以下、この事件を本件名古屋高裁事件という。)、また、名古屋地方裁判所は昭和三五年一〇月二一日原告が学校法人名城大学の理事の地位を有することを本案判決の確定に至るまで仮に定める旨の判決をし、これにより原告は理事の地位を保全されていた(以下、この判決を本件地位保全判決という。)。さらに、原告は、学校法人名城大学の理事長として、名城大学学長日比野信一を相手に同人の収受した学校法人名城大学の入学金や授業料等の金員を裁判所の選任する管理人へ引き渡すことなどを求める仮処分を申請したところ、名古屋地方裁判所は、昭和三七年四月六日日比野信一に対し、同人が収受し、保持する学校法人名城大学関係の受験料、入学金、授業料等の金員を同裁判所が別に選任する管理人に引き渡すこと、いかなる名義をもつてするを問わず、また、何人よりするを問わず、受験料、入学金、授業料等の金員を収受し、借り入れてはならないことなどを命ずる判決をした(以下、この判決を本件管理人引渡判決という。)。

このように、原告は、学校法人名城大学の紛争を裁判により解決するため右に述べたような裁判を求め、すでに本件地位保全判決や本件管理人引渡判決において裁判所の判断が示されていたのであるから、本件調停法一〇条四項は適用の余地がないのである。したがつて、本件解職処分は何ら法的根拠なしになされたものであるから、無効である。

(4) 本件解職処分は、憲法三二条および七六条二項後段に違反し、無効である。

学校法人名城大学の紛争は理事者間における同大学の管理運営に関する紛争であつたが、その根本は誰が正当な理事であるかにかかつていた。そこで、原告は、右根本の紛争を裁判によつて解決することを求め、裁判所の判断に従うことを提唱し、右(3)において述べたようにいくつかの民事訴訟を提起したのである。すなわち、本件解職処分当時、本件名古屋高裁事件が係属しており、また、すでに本件地位保全判決や本件管理人引渡判決において裁判所の判断が示されていたのである。しかるに、被告が本件解職処分をしたため、同処分にはいわゆる公定力があるので、本件名古屋高裁事件における訴訟物である原告の学校法人名城大学の理事たる地位は一応喪失せしめられることになり、その結果、右事件における原告の請求は棄却されるほかなくなり、ここに、原告の民事裁判を受ける権利は本件解職処分により奪われてしまつたのである(もつとも、現実には、本件解職処分がなされた直後に名古屋高等裁判所より判決言渡期日の指定を受けたので、原告は請求が棄却されることは必至であるとみて昭和三八年一一月七日に本件名古屋高裁事件の訴えを取り下げた。)。すなわち、本件解職処分は、何人も裁判所において裁判を受ける権利を奪われないことを保障する憲法三二条に違反するとともに、行政機関である被告が学校法人名城大学の理事の地位の存否に関し終局的に判断を与えたことになり、行政機関は終審として裁判を行なうことはできないとする憲法七六条二項後段に違反する。のみならず、本件解職処分は、原告の学校法人名城大学の理事および評議員たる地位を奪うものであるから、それは本件地位保全判決や本件管理人引渡判決において示された裁判所の判断と矛盾し、これを踏みにじるものといわなければならない。学校法人名城大学の紛争のうち根本的なものは、前記のとおり、誰が正当な理事であるかというきわめて司法的解決に親しむ事項であり、かかる事項について裁判所の判断がすでに示されている場合には、行政機関は裁判所の判断を尊重し、右判断の線に沿つてその権限を行使すべきである。しかるに、本件解職処分は、これに反し、裁判所の判断を踏みにじるものであつて、司法権を侵すものといわなければならない。

(5) 憲法三一条において規定するいわゆる適正手続の保障の精神は行政手続にも及ぼされるべきである。学校法人における正当な理事は誰であるかという紛争について裁判所に民事訴訟が係属し、すでに裁判所の判断が示されている場合にも仮に本件調停法一〇条四項が適用されうるとしても、それは同法制定後に民事訴訟が提起された場合に限り許されるべきである。そうではなく、本件調停法制定当時すでに民事訴訟が提起されていた場合にも、同法一〇条四項の適用が許されるとすれば、それは、民事紛争の解決については裁判権が至上であると考えて民事訴訟を提起した国民に対し右一〇条四項を遡及的に適用することにほかならず、それは憲法三一条の精神に違反するといわなければならない。

(6) 本件解職処分は憲法二九条に違反するので、無効である。

何人も正当な補償なしにその財産権を侵害されることのないことは憲法二九条の保障するところである。原告は学校法人名城大学の理事および理事長として月額一〇万円の報酬請求権を有していたのであるが、かかる報酬請求権をともなう理事ないし理事長の地位は憲法二九条において保障する財産権に含まれるものと解すべきである。ところで、本件解職処分は原告の学校法人名城大学の理事たる地位を失わしめるものであるが、それが公共の福祉のために有効とされるならば正当な補償がなされなければならないにもかかわらず、原告には何らの補償も与えられていないので、結局、本件解職処分は憲法二九条に違反するといわざるをえない。

(7) 本件解職処分は、その手続が違法であるので無効である。

(ア) 本件調停法は、学校法人紛争が生じ、これにより学校法人の正常な管理および運営が行なわれなくなり、かつ、そのため当該学校法人が法令の規定に違反するに至つた場合には、まず、学校法人紛争調停委員による調停を行ない、調停が成立しなかつた者については解職または辞職の勧告を経たのち、当該学校法人の正常な管理および運営を図るため他に方法がないと認められるときに解職することができる旨規定している。ところで、本件解職処分に先立つて行なわれた調停は、調停委員の人選、調停委員会の運営ならびに調停案の内容のいずれの点においても違法である。すなわち、被告が学校法人名城大学の紛争の調停のため任命した調停委員は河野勝斉、大浜信泉、鈴木亨市および桑原幹根の四名であるが、いずれも同法人の紛争に利害関係を有するものであつて、公正な第三者とはいえない。また調停委員会の運営は常に文部省管理局長により指導され、調停委員独自の判断や行動はなされず、各調停委員が原告に面会した時間は合計二時間を出ないのである。さらに、調停案の内容は、本件地位保全判決や本件管理人引渡判決を踏みにじり、名城大学学長日比野信一を責任者とする教授団、職員および学生の各代表者からなる三者審議会による経営の違法な管理を是認する結果になるとともに、後記のような佐々部晩穂一派による学校法人名城大学の敷地予定地であつた国有土地の払下げ・転売の不正行為を隠ぺいするものであつた。このように、本件解職処分に先立ち行なわれた調停は違法であるから、右処分は無効である。

(イ) 右(ア)において述べたように、本件調停法一〇条四項にもとづく解職をするにはこれに先立ち解職または辞職の勧告を経ているわけであるが、右勧告にあたつては私立大学審議会の意見をきかなければならないこととされている。本件解職処分にあたつても、これに先立ち私立大学審議会の意見がきかれたが、右審議会の組織、運営、諮問の内容のいずれにおいても違法の要素がある。すなわち、私立大学審議会の委員はいずれも被告の意のままになる者ばかりで、公平な第三者とはいえず、右審議会の審議は密行され、原告には弁明の機会が与えられず、被告提出の資料のみにもとづいて審議が行なわれ、また、右審議会への諮問にあたり、何故本件地位保全判決や本件管理人引渡判決に従つた解決方法はとりえないのか、あるいは名城大学学長日比野信一を責任者とする三者審議会がどのような不正行為をしているのかなどといつたことについてまつたく説明がなされなかつた。このように、私立大学審議会への諮問は違法になされたから、本件解職処分は無効である。

(8) 本件解職処分は、学校法人名城大学の正常な管理および運営を図るため解職以外にも方法があるのになされたものであるから、無効である。

すなわち、本件解職処分当時すでに本件地位保全判決や本件管理人引渡判決がなされていたのであるから、被告としてはまずこれらの判決に従い、その内容の実現に努力するという方法があつたはずである。さらに、原告は名古屋簡易裁判所に民事調停の申立てをしていたので、右調停により紛争を解決するという方法があつたはずである。しかるに、原告の解職以外には方法がないとした被告の判断は誤りであり、本件解職処分は無効である。

のみならず、難尾弘吉は、昭和三八年七月に文部大臣に就任したが、その後わずか三週間たらずで本件解職処分をしたのであり、本件調停法一〇条四項に定める解職の要件である他に方法がないかどうかについて十分に時間をかけ、自ら慎重に判断するということをせず、もつぱら下僚の意見を鵜呑みにしたものであつて、その判断の方法は違法である。さらに、本件解職処分の通知書には何故解職以外に方法がないと判断したかの理由が示されておらず、ことに原告自身の非行が示されていないのであつて、被告の判断は恣意的といわざるをえない。

このように、本件解職処分は、本件調停法一〇条四項に定める解職の要件がないのになされたものであり、さらに、右要件の判断の仕方が恣意的であるから、無効である。

(9) 本件解職処分は、公序良俗に違反し、無効である。

(ア) 学校法人名城大学の沿革

学校法人名城大学は、第二次大戦前田中寿一が経営していた理工科専門学校が戦後急速に膨張し、昭和二四年に財団法人名城大学に組織を改め、私立学校法の施行にともない昭和二六年三月に学校法人となつたものであり、田中寿一が当初の理事長であつた。学校法人名城大学には大学院、大学、短期大学、付属高等学校等が設置されており、大学は法商学部、理工学部、薬学部、農学部が設けられている綜合大学である。

(イ) 学校法人名城大学紛争の経過

昭和二九年一一月ごろ学校法人名城大学に第一次紛争が発生した。紛争は、表面的には、田中寿一理事長が法学部を東京へ進出させる計画を独断専行しようとしたことに対する批判として起こり、理事会も田中寿一を支持する派(以下、田中派という。)とこれに反対する派(その筆頭は佐々部晩穂である。以下、佐々部派という。)に分裂した。この第一次紛争は、昭和三三年八月両派間に私法上の和解が成立して解決するに至つたが、その間、田中寿一が一時理事長を辞任するといつたこともあり、また、両派から互いに民事訴訟の提起や仮処分の申請がなされ、名古屋地方裁判所において理事長の職務執行停止や理事長の職務代行者選任の仮処分がなされたりした。この間、原告は田中派に属し、一貫して田中寿一を擁護した。右私法上の和解の内容は、田中寿一を理事長に推すこと、田中派の理事はそのまま理事になるとともに、佐々部派(もつとも、佐々部晩穂は表面より退き、教授団が表面に出て来ていた。)の推す理事も二名認めること、過去のことは水に流す方針をとり、愛学の精神に出でた行為はこれを罰せずとの声明書を出すことというものであつた。

第一次紛争解決後、しばらくして、学校法人名城大学の理事者間に、表面的には紛争中の事務の後始末の方法や学校運営の方法をめぐつて意見の対立が生じた。すなわち、田中派は、声明書にいう愛学の精神に出でた行為はこれを罰せずとの趣旨は過去の一切の不正行為の責任を問わないという趣旨ではなく、不正行為ことに刑事犯罪にふれる行為の責任はこれを追及しうるものと解し、これを追及しようとした。これに対し、田中寿一の息子卓郎を中心とする派(以下、卓郎派という。)および佐々部派は反対した。また、田中寿一はかねてより農学部のあつた愛知県春日井市鷹来町の鷹来工廠跡へ大名城建設の理想を抱いていたが、たまたま大学本部等のあつた名古屋市昭和区駒方町の敷地について明渡訴訟を提起され、転借していた学校法人名城大学が敗訴したのを機会に、大学本部等を鷹来工廠跡へ移転する計画を推し進めようとした。これに対して、日比野信一名城大学長を中心とする教授団は猛烈に反対し、田中寿一理事長の退陣を要求した。そこで、田中寿一理事長は、昭和三四年七月一七日日比野信一学長の学長たる地位を罷免するとともに、同月二六日ごろ田中卓郎らの理事を解任し、さらに、田中寿一理事長の退陣を要求した二〇名位の教職員を解雇した。ここに、第二次紛争が発生するに至つた。第二次紛争は全学的な規模で行なわれ、対立抗争する各派より互いに民事訴訟の提起や仮処分の申請が行なわれた。昭和三四年一一月には教授会、職員組合および学生会の各代表よりなる三者審議会が結成され、同会が名城大学の経営を違法に管理するに至つた。すなわち、学生は授業料等の延納を決議し、これに相当する額を愛知労働金庫に預金し、この預金を担保に同金庫より三者審議会が金員を借り入れ、教職員の給料等に支出した。田中寿一は、これに対抗するため、一時従来の主義主張を捨て各派の理事会の大合同を図ろうとしたが、その結果、原告と意見の衝突を生じ、原告の理事長たる地位を解任する挙に出たりしたが、昭和三五年一一月一一日に田中寿一が死亡した後は、原告が田中寿一の従来の主義主張を承継した。その主義主張とは、まず経理の不正を追究し、これを正常明白な状態におくこと、紛争の解決はすべて法的手段にのみ訴え、裁判所の判断に従うこと、さらに自主独立の精神をもつて建学の業にあたることであつた。とくに、原告は、本件管理人引渡判決や本件地位保全判決に従うことを紛争解決の要として強調した。しかるに、三者審議会と結託した卓郎派および佐々部派はまつたくこれに従おうとしなかつた。

(ウ) 国有土地の払下げ・転売

学校法人名城大学の紛争は、第一次および第二次紛争を通じ、これを表面的に観察すれば、右に述べたように同法人の管理運営の方法をめぐる理事者間の、そしてさらには教職員をも巻き込んだ紛争としてとらえることができるのであるが、この紛争の真相は、佐々部派による国有財産の払下げ・転売による不法利益の追求とその障害となる田中派の排斥にあり、さらには佐々部派による学校法人名城大学の乗取りにあつたのである。

すなわち、田中寿一はかねてより愛知県春日井市鷹来町所在の旧鷹来工廠跡地約二二万坪を綜合名城大学の建設予定地と見立て、関係官庁等に懇請嘆願した結果、学校法人名城大学は昭和二六年四月には右跡地の南北両側合計約八三、〇〇〇坪を国(東海財務局)より借用することができ、ここに農学部が設置された。その後、右鷹来工廠跡地に薬学部を設置することを計画し、被告の認可もえ、さらに、昭和三四年には名城大学の本部等を右鷹来工廠跡地に移転する計画を推し進めようとした。

しかるに、右鷹来工廠跡地全部(学校法人名城大学においてすでに借用していた農学部の敷地をも含めて)の払下げを受け、利益をえようと目論む者がいた。それは、ほかならぬ佐々部晩穂であり、同人を中心とする佐々部派であつた。佐々部派は、右計画を実現するためには、まず、学校法人名城大学の鷹来工廠跡地への集結計画を破壊する必要があつたのであり、そのために同法人に紛争を起こさせ、さらには右集結計画を理想としてこれを実現しようとする田中派を排斥し、同法人の経営権を掌握する必要があつたのである。そして、まず、佐々部派は、第一次紛争中である昭和三〇年に薬学部の教授団と結託し、被告の認可まで受けていた薬学部の設置場所を新たな認可ないし認可の変更を受けることなく鷹来工廠跡地から名古屋市昭和区天白町八事に変更し、そこに薬学部の校舎を建設してしまつた。校舎建築の申請をしたのは農学部長であり、これを許可したのは桑原幹根愛知県知事であり、建築工事を請け負つたのは学校法人名城大学の理事長代理をしていた今岡正益であつた。次に、佐々部派は、大学本部等の鷹来工廠跡地への移転計画を破壊すべく、教授団と結託し、教授団をして右計画に猛烈に反対させるとともに、田中寿一理事長退陣要求運動を起こさせ、同理事長による日比野信一学長を始めとする二〇名ほどの教職員に対する罷免、解雇を行なわせ、ここに第二次紛争を発生させるに至つた。そして、昭和三五年八月には、国有財産東海地方審議会において、鷹来工廠跡地のうち中央部分の約一一万坪を佐々部晩穂が代表取締役をしていた東洋プライウツド株式会社へ払い下げることが決定され、その後、昭和三八年一月に第一次分約八万坪が、同年五月には第二次分約三万坪がいずれも同会社へ払い下げられた。ところで、同会社は右第二次分約三万坪の払下げを受けるや二週間後にはその子会社を通してこれを松下電器株式会社へ転売し、一〇億円にのぼる利益をみた。

(エ) 本件調停法の制定

ところで、この間、田中派ことに原告は、三者審議会による経営の違法管理を正常に戻し、不正行為の責任を問うとともに、司法的手段(裁判)により紛争を解決することを提唱し続けた。佐々部派およびこれと結託した三者審議会の教授団は、原告の正論に耳をかさず、数多くの司法権無視の行為(裁判所の仮処分判決に従わず、これを無視した行為)に出たばかりでなく、経営の違法な管理によつてえた不正な資金等を使つて文部官僚や議員団へ働きかけた。そして、その結果、ついに昭和三七年四月四日本件調停法が制定されるに至つたのである。本件調停法の内容は、学校法人紛争を解決するために学校法人紛争調停委員による調停制度を設けるとともに、調停不成立の場合に被告に理事の解職権を与えるというものであつた。法文の形式上は一般的な法律として制定されてはいるが、その制定にあたつては学校法人名城大学の紛争についてのみ適用するものであることが公然と密約され、しかも限時法とされているのであつて、それは、佐々部派による国有財産(鷹来工廠跡地)の取得を確実にするとともに学校法人名城大学経営の違法管理を隠ぺいするため、田中派を排斥すること、ことに原告を解職することを当初からの目的として制定されたものであつた。それ故、被告は、本件調停法の制定にあたり国会に対してした提案理由の説明のなかで、佐々部派および教授団による経営の違法管理を秘匿し、本件地位保全判決や本件管理人引渡判決においてすでに裁判所の判断が示されていたにもかかわらず、いまだこれが示されていないかのように説明し、あたかも原告が不正行為をしているかのように印象づけているのである。

(オ) 本件解職処分の断行

昭和三七年六月ごろ本件調停法にもとづく調停が開始された。そして、昭和三八年六月二一日調停案が発表されたが、その主な内容は、役員、評議員および学長はすべて辞任し、被告において仮理事を選任すること、紛争の中心的役割を果たしてきたと思われる教授については仮理事会において進退を決すること、三者審議会は調停委員の指定する日に解散し、入学金や授業料等の金員はすべて裁判所の選任した管理人へ引き渡し、同人はこれを仮理事会に引き継ぐこと、田中寿一の遺族に対しては特別の優遇方法を講ずることなどであつた。この調停案に対し、多くの者は力つきてこれを受諾するに至つたが、正論の士である原告や守田広海らはこれを受諾しなかつた。そこで、ついに同年八月二二日本件解職処分がなされるに至つた。

(カ) 公序良俗違反

本件解職処分は、佐々部派による鷹来工廠跡地の払下げ・転売による不正利得および教授団(三者審議会)による経営の違法管理にもとづく不正利得を隠ぺいするとともに佐々部派による学校法人名城大学経営権の収奪(乗取り)を表現するために、なされたものである。このことは、本件解職処分後、被告は七名の仮理事を選任したが、そのうちの五名が鷹来工廠跡地の払下げ・転売の一派であつたこと(すなわち、佐々部晩穂は払下げを受けた東洋プライウツド株式会社の代表取締役、渡辺捨雄は同会社のもと嘱託、大島一郎は払下げを決定した国有財産東海地方審議会会長、桑原幹根および杉戸清は同会委員であつた。)からも明らかである。

このように、本件解職処分は不法な目的のためになされたものであり、しかも前記(4)において述べたように本件地位保全判決や本件管理人引渡判決を無視し、司法権を侵害するものであるから、それは公序良俗に違反し、無効であるといわなければならない。

(三)  本件解職処分が無効であることは右(二)において述べたとおりであるが、仮に無効とはいえないとしても、取消事由たる瑕疵にはあたると解すべきである。

(四)  本件地位保全判決がなされ、原告が学校法人名城大学の理事の地位を仮に定められていたことは前記(二)の(3)において述べたとおりである。ところで、右仮の地位は本件解職処分がなされたことによりただちに喪失せしめられるものではない。しかるに、被告は、原告が学校法人名城大学の理事の地位にあることを認めず、理事が欠けたとして仮理事の選任等の行為に出ているのである。

(五)  よつて、被告に対し、本件解職処分が無効であることの確認と原告が学校法人名城大学理事の仮の地位にあることの確認を求め、本件解職処分の無効確認請求が認められない場合の予備的請求として同処分の取消しを求める。

二  被告の本案前の主張

原告の訴えのうち原告が学校法人名城大学理事の仮の地位にあることの確認を求める訴えは、次の理由により不適法である。

(一)  原告の右理事の仮の地位確認請求における訴訟物は私立大学の設置を目的としている学校法人名城大学の理事の地位であり、それは原告と同法人との間における私法上の法律関係である。被告は国の行政機関にすぎず、私法上の法律関係の確認を求める訴えについては当事者能力を有しない。

(二)  そればかりでなく、法律関係の直接の当事者でない第三者に対して右法律関係の確認請求を維持するためには、原告においてこれを維持しなければならない格別の利益を有することが必要であるが、原告は理事の仮の地位の確認を補助参加人たる学校法人名城大学に対して求めれば足りるのであつて、被告に対し右確認請求を維持する格別の利益を有しないことは明らかである。したがつて、右確認を求める訴えは訴えの利益を欠くものというべきである。

(三)  本件解職処分が無効とされまたは取り消された場合には、同処分がない状態が確認されあるいは同処分がなかつた状態に復帰するのである。したがつて、原告の理事の仮の地位確認請求における究極の目的は、本件解職処分の違法性を争うことによつて達せられるはずのものであるところ、原告は右違法性を争い右処分の無効確認請求(予備的に、取消請求)を提起しているのであるから、これと重複して理事の仮の地位の確認を請求することは、原告にとつて事実上および法律上何らの利益を与えるものでもない。したがつて、右理事の仮の地位確認の訴えは訴えの利益を欠くというべきである。

三  請求原因に対する被告の答弁および主張

(一)  請求原因(一)の事実のうち、被告が本件解職処分をしたことは認めるが、その余の事実は知らない。

(二)  請求原因(二)の(1)の事実のうち、本件調停法一〇条が原告主張のような内容であることは認めるが、同条四項が憲法二二条一項に違反し無効であるとの主張は争う。

憲法が国民に保障する基本的人権は決して無制限に認められるものではなく、常に公共の福祉による制約を免れえないのである。職業選択の自由についても同様であつて、憲法の条文自体において公共の福祉による制約を明記しているのである。ところで、学校法人の設置する学校、すなわち私立学校がわが国の学校教育において重要な一翼をにない、その特色ある教育と伝統ある学風によつて教育文化の進展に多大の貢献をなしてきたことは衆知の事実であり、私立学校が極めて公共性の高い存在であることはいうまでもないところである。このように私立学校が公共性の高い存在であつてみれば、その経営主体たる学校法人の役員または評議員の間に当該学校法人の管理および運営について紛争が生じ、このため学校法人の正常な管理および運営が行なわれなくなり、かつ、そのため当該学校法人が法令の規定に違反するようなことになると、公共の福祉のうえからゆゆしいことである。ことに、学校法人名城大学における紛争は、大学の管理運営に関する意見の対立に端を発し昭和二九年に発生したが、さらに役員の地位、権限をめぐる争いに発展し、他面理事者と教職員団とが相対峙する情勢をも招くに至つた。その後、昭和三三年に和解によつて一たん解決をみたが、わずか一年を出でずして再燃し、紛争が激化、長期化するにしたがい大学の公共性に照らしもはや放置できない段階に達するに至つた。それにもかかわらず、紛争関係者による自主的な解決は裁判手続による解決をも含めてほとんど見通しが立たなかつたので、被告としては私立学校法六二条による解散を行なうほかなかつた。しかし、解散となると社会的影響がはなはだ大きく、解散に至る前に何とか紛争を解決することが強く要望され、そのためには新しい立法がどうしても必要となつた。そこで、被告は、学校法人運営調査会(私学関係者一三人、国・地方公共団体の職員三人、学識経験者四人の合計二〇人から構成されていた。)の答申のうち「調停制度を設けること」との部分をとり入れて、本件調停法を制定したのである。本件調停法は、まず調停委員による当事者間の斡旋を行ない、合意による紛争の解決に努め、あるいは調停委員の作成する調停案を当事者に示して受諾を勧告するなどの調停による紛争の解決を図つている(同法三条ないし九条)。そして、調停によつては紛争が解決せず、紛争にかかるある役員または評議員を解職しなければ当該学校法人の正常な管理および運営を図ることができないと認められるときは、予め、当該役員または評議員に弁明の機会を与え、かつ、私立学校審議会等の意見を聞いたうえで、被告は当該学校法人に対し右の者を解職することを勧告し、あるいは直接右の者に対し辞職することを勧告できることとしている。そして、右の者が解職されずあるいは辞職しない場合において、当該学校法人の正常な管理および運営を図るため他に方法がないと認められる場合に初めて被告に右の者を直接解職することを認めている(同法一〇条)。このように、本件調停法は慎重な手続を経たうえで、しかも最後の手段として学校法人の役員または評議員の解職を認めているのであつて、学校法人名城大学におけるように紛争が激化、長期化し、正常な管理運営を回復するため他に方法がない場合には、右解職も私立学校の公共性、すなわち公共の福祉のうえからまことにやむをえない措置といわなければならない。したがつて、本件調停法一〇条四項は憲法二二条一項に違反するものではない。

なお、原告は国家が事業の経営に出資していない場合には行政権によりその役員を解職することは許されない旨主張するが、国家が役員を直接解職する権限を有するかどうかは、当該事業に対し国家が出資しているかどうかによつて決まるものではなく、もつぱら事業の有する公共性に着眼し、公共の福祉のため直接に解職する必要があるかどうかによつて決まるのである。このことは、地方鉄道法三七条、軌道法二七条、輸出入取引法三二条の一〇、中小企業団体組織に関する法律六七条等において行政権による役員の直接解職を認めているが、当該事業には国家は何ら出資していないことからも明らかである。

(三)  請求原因(二)の(2)の事実および主張は争う。

本件調停法は学校法人名城大学紛争の解決に資することを主たる目的として立法されたものではあるが(それ故右紛争に本件調停法を適用して解決するために要する期間を二年と見込んで、二年間の時限立法とされた。)、その適用が右紛争にのみ限定されるものではなく、当時本件調停法三条に規定するような学校法人紛争が存在したとすれば、もちろんそれにも適用されるはずのものであつた。のみならず、仮に本件調停法が原告主張のように学校法人名城大学紛争の解決のみを目的とした立法であるとしても、何ら憲法に違反するものではなく、一つの案件のみを解決するための法律の制定も立法府の自由に委ねられているのである。

(四)  請求原因(二)の(3)の事実のうち、本件解職処分当時、本件名古屋高裁事件が係属しており、本件地位保全判決や本件管理人引渡判決がなされていたことは認めるが、その余は争う。

(五)  請求原因(二)の(4)の事実のうち、本件解職処分により原告の学校法人名城大学における理事たる地位が一応喪失せしめられたことおよび原告が本件解職処分後本件名古屋高裁事件の訴えを取り下げたことは認めるが、その余は争う。

(1) 本件名古屋高裁事件は原告の訴えの取下げにより終了したものであつて、本件解職処分により終了したものではないから、同事件における原告の裁判を受ける権利が本件解職処分により侵害される旨の原告の主張は失当である。

(2) 被告は、学校法人名城大学の紛争が長期にわたり、かつ、深刻となつて、学校の有する公共性に照らし、もはや放置できない段階に達したと認められたので、同法人の正常な管理運営を図るための措置として、本件調停法にもとづき本件解職処分を行なつたものである。もともと、同法人の紛争には法律的紛争とともに非法律的紛争も多く含まれているところであるが、本件解職処分は、それらの紛争の一切を考慮して、同法人の正常な管理運営を図るための必要最少限度の措置として行なわれたものである。それは、裁判所に係属する法律的紛争について、裁判所に代つて事実を確定し、当事者の主張する権利義務の存否を確定するというように、いわゆる裁判を行なうものでは決してない。それとは別の角度から、すなわち、右に述べたように同法人の正常な管理運営を図るためになされた行政措置なのである。したがつて、本件解職処分を目して行政庁たる被告が最終的に裁判を行なつたものとし、憲法七六条に違反するとの原告の主張は失当である。また、このような本件解職処分の結果として、たまたま係属中の訴訟が訴えの利益を失い、そのため本案について裁判を受けることができなくなつたとしても、それは訴えの利益の喪失に伴う当然の結果にすぎず、これをもつて裁判請求権が侵害されたと主張しうる筋合のものではない。もし、訴えの利益を違法に喪失せしめられたというのであれば、そのこと自体を争えば足り、本件解職処分についても、これに不服がある者はこれを争えばよいわけであつて、この場合に、本件解職処分の結果他の訴訟の訴えの利益が失われることを本件解職処分の違法または無効事由として主張することは本末転倒の議論というほかない。このことは、被告が私立学校法六二条にもとづき名城大学に対し解散を命ずる場合を仮定してみれば容易に理解しうるところである。すなわち、この場合、理事の地位の確認を求める訴訟が係属しているときは、解散により通常その訴えの利益が失われるので、原告の主張に従えば、被告はどのような事態になろうとも解散を命ずることができないことになるのであり、このような結果が不合理であることは多言を要しない。したがつて、本件解職処分が本件名古屋高裁事件における原告の裁判を受ける権利を侵害した旨の原告の主張は失当である。

(3) 原告は、本件地位保全判決によつて保全された原告の理事たる地位を解職することはすでに示された裁判所の判断を踏みにじり、司法権を侵害するものである旨主張する。しかしながら、原告の右主張の根底には、一たん仮処分で理事の地位が保全されると、以後、何人も理事の地位に対して一指も触れられなくなるということを前提としているのではないかと思われるが、その前提は誤りであり、地位保全の仮処分にはかかる効果は生じないのである。ことに、本件地位保全判決は、原告の理事たる地位を解任する旨の理事会の決議の効力について争いがあり、果して原告が学校法人名城大学の理事の地位にあるのか否か不明であつたので、暫定的に原告が理事の地位にあるものと定めたにすぎず、すなわち、原告が理事会の決議前に有していた理事の地位を暫定的に確認したにすぎず、それ以上に別個の新しい地位を創設したものでは決してないのである。本件地位保全判決の効力がこのようなものであるとすれば、被告が本件解職処分をすることは何ら差し支えなく、まして司法権侵害の問題を生ずる余地はまつたくないといわなければならない。

(4) 原告は、本件解職処分は本件管理人引渡判決において示された裁判所の判断を踏みにじり、司法権を侵害するものである旨主張する。しかしながら、本件解職処分は原告の学校法人名城大学における理事たる地位を解職するものであつて、日比野信一に対し裁判所の選任した管理人に入学金や授業料等の金員の引渡し等を命ずる本件管理人引渡判決とは直接には何らの関係をももたないものであるから、原告の右主張は失当である。

(5) なお、司法権の侵害によつて被害を被むるのは国家であつて、原告ではないから、司法権を侵害するので本件解職処分は憲法に違反する旨の主張は、主張自体理由がないといわなければならない。

(六)  請求原因(二)の(5)の主張は争う。

そもそも、憲法三一条は刑事手続に関する規定であつて、行政手続に関しては適用されない。それ故、行政手続である本件解職処分が憲法三一条に違反するかどうかの問題を生ずる余地はない。仮に、憲法三一条が行政手続に関しても適用ないし準用されるとしても、同条は国民の権利、自由を制限する場合には法律の定める手続によらなければならないことを要請しているものと解されるところ、本件解職処分は本件調停法一〇条にもとづいて行なわれたのであるから、何ら憲法三一条に違反するものではない。

(七)  請求原因(二)の(6)の主張のうち、本件解職処分が憲法二九条に違反するとの主張は争う。

憲法二九条三項は、財産権を公用徴収する場合に補償すべきことを規定したものであるところ、学校法人の理事たる地位は右にいう財産権に該当しないばかりでなく、理事たる地位を解職することは公用徴収に該当しないので、本件解職処分には補償を提供する必要がない。したがつて、補償を提供しなかつたことを理由として本件解職処分は憲法二九条に違反する旨の原告の主張は失当である。

(八)  請求原因(二)の(7)の(ア)の事実のうち、本件調停法の規定が原告主張のとおりであることおよび学校法人名城大学紛争の調停のために被告の任命した調停委員が原告主張のとおりであることは認めるが、その余は争う。

被告の任命した調停委員は当時として望みうるもつとも公正、妥当な人選であつた。すなわち、河野勝斉は名城大学が所属する私立大学協会の会長であり、かつ、日本医科大学理事長の職にあり、また、かつて私立大学審議会の会長を勤めたこともある、いわば私立大学界の代表的な存在といえる。さらに、同人は、後述の学校法人名城大学のいわゆる第一次紛争について名古屋地方裁判所より調停委員に指定され、裁判所による調停に尽力しており、その調停が不調に終つた後にも個人的な努力によりついに第一次紛争を解決に導いたものであり、第二次紛争についても被告の依頼により事実上の調停にあたり、学校法人名城大学の紛争について事情に通じていた。ただ、同人は第一回調停委員会に出席した後、ほとんど調停活動を行なうことなく死亡している。大浜信泉は、私立大学審議会の委員であつて、早稲田大学総長の要職にあり、学者、教育者として代表的な存在であつた。鈴木亨市は、名古屋商工会議所会頭、東海銀行頭取の地位にあり、いわば地元財界の代表的な存在である。桑原幹根は、愛知県知事の地位にあつて、いわば地元政界の代表的な存在である。したがつて、これらそれぞれ人物、識見ともに各界の代表的な存在として社会的に認められた人々が合議のうえ調停を進めていくのであるから、そこに対立する一派に偏した不公平な調停が行なわれる余地はなく、紛争の実情に即し、私学の特殊性を生かし、しかも広い視野に立つての判断にもとづく妥当な解決に資することも期待できるのである。もとより、右各調停委員は自らの判断にもとづき合議を経たうえで調停にあたつたものであつて、文部省管理局長に指導されたものではない。文部省組織令三九条一三号により学校法人紛争調停委員に関する事務は文部省管理局振興課の所管事務とされていたので、管理局長や振興課長が調停に立会い、調停委員を補佐することは職務上至極当然のことである。原告が調停委員に面接して意見を述べたのは八回に及び、ことに昭和三八年三月一四日の面接だけでも優に二時間位はかかつている。原告は、本件調停法にもとづく調停の内容が本件地位保全判決や本件管理人引渡判決を無視している旨主張するが、民事判決と右調停とはそれぞれ独自の存在意義をもつた紛争解決のための法的制度であつて、両者の間に上下、優劣の関係はないから、仮に右調停の内容が本件地位保全判決等に矛盾、牴触するところがあつても、調停が判決を無視したとの非難を受ける道理はなく、まして違法の問題を生ずる余地はない。のみならず、調停案において、いわゆる三者審議会は調停委員の指定する日に解散し、学校法人名城大学に帰属すべき金員の保特者は調停委員が指定する日に右金員を管理人に引き渡し、管理人はその金員を仮理事会に引き継ぐことという条項があることからもわかるように、調停においては、可能なかぎり本件管理人引渡判決の趣旨を生かし、これを尊重しようとしたものであり、さらに、文部省側は、調停委員の意を受けて、いわゆる三者審議会の構成員に対し再三にわたり本件管理人引渡判決に従うよう説得したのであり、その結果、昭和三八年度の入学受験料約九〇〇万円余の引渡しがなされているのである。また、原告は、本件調停法にもとづく調停はいわゆる三者審議会による違法な経営管理を是認する結果になる旨主張するが、このような異常な状態を解消し、学校法人名城大学の管理運営を正常な状態に復帰せしめることこそ、本件調停法にもとづく調停の終局の目的であつたといえるのである。さらに、原告は、右調停は佐々部晩穂一派による名城大学の敷地予定地であつた国有土地の払下げ・転売の不正行為を隠ぺいするものである旨主張するが、右払下げは大蔵省の東海財務局において行なわれたことであつて、被告や調停委員のまつたく関知しないところである。

(九)  請求原因(二)の(7)の(イ)の事実のうち、被告が本件調停法にもとづき本件解職処分をするに先立ち私立大学審議会の意見をきいたことは認めるが、その余は争う。

仮に、原告主張のように私立大学審議会の組織、運営等に公正でない点があつたとしても、そのことにより同審議会の答申が当然に違法となるものではなく、また、仮に、違法となるとしても無効ということはできず、もともと被告はその答申に拘束されずに独自の立場で原告に対し辞職の勧告を行なうことができるのであるから、答申が違法であつても原告に対する辞職の勧告、その後の本件解職処分が違法となるものではない。

のみならず、私立大学審議会の委員は私立学校法一九条にもとづき被告が任命しているが、その人選は公平に行なつている。また、同審議会の運営も公平に行なわれているが、原告に対し同審議会に出席して意見を述べる機会を与えなかつたのは、これを許す規定がなく、しかも原告にのみこのような機会を与えて対立派に与えないのはかえつて不公平となるおそれがあるからである。なお、本件調停法一〇条三項によれば弁明の機会は処分庁たる被告により与えられることになつているのであつて、まつたくその機会が奪われているものではない。また、審議会への諮問にあたつては、調停の経過、紛争の実態の説明の際に原告主張の事実が述べられているのである。

(一〇)  請求原因(二)の(8)の事実のうち、本件解職処分当時本件地位保全判決や本件管理人引渡判決がなされていたこと、灘尾弘吉が昭和三八年七月に文部大臣に就任したこと、本件解職処分の通知書に被告が何故解職以外に他に方法がないと判断したかの理由が示されておらず、原告の非行も示されていないことは認めるが、その余は争う。

(1) 原告を解職する以外には学校法人名城大学の正常な管理運営を図る方法はなかつた。すなわち、同法人においては、役員、評議員が三派に分裂して互に自派の正当性を主張し、対立派の人々の地位を否認して抗争に明け暮れ、そのため理事会、監事、評議員会といつた同法人の管理機関はまつたく機能を喪失していた。そして、大学部の財政面はいわゆる三者審議会が、教学面は協議会がそれぞれ事実上管理するという変則的な状況にあつた。このような状況を解消して正常な管理運営を図るためには、従来対立抗争してきた役員等に代えて、荒廃した同法人を管理運営して行くだけの実力をもつた管理機関、すなわち、正当にして強力な管理機関を新たに樹立することが先決条件である。新たな管理機関を樹立することなくしては、従来の紛争をまつたく解消し、同法人の正常な管理運営を図ることはおぼつかない。そして、新たな管理機関の構成についても、従来の役員、評議員は、その地位をめぐつて数十の訴訟が提起されているところからも明らかなように、すべてその地位に争いがあつて誰が正当な地位にあるのか容易に決し難い状態にあつた。それで、たとえば対立する三派のうちの一派あるいは二派を立てて他派を斥ける方法により、あるいは三派のうちよりそれぞれ数名あてを選ぶ方法により学校法人名城大学の新しい管理機構を構成しようとしても、それを選ぶ基準に窮する。仮に、何らかの基準により従来の役員、評議員の中から新しい管理機関を構成したとしても、一〇年来の紛争による感情的、利害的対立は深刻なものがあつたので、紛争が再燃することは必至とみるほかなかつた。それに、新しい管理機関の構成員となる者とそれにより排除される者との間にしこりを残すことになつて、紛争の根本的な解決を期することはできない。そのうえ、地元各界の間では従来の役員、評議員に対して紛争中の言動に照らしきわめて批判的な空気が強く、また、学生、教職員も、ことに原告派に対して強い反感を示していたので、従来の役員、評議員が再び新しい管理機関の構成員となつた場合は、とうてい内外の支援を期待することはできなかつた。人的、物的設備において破綻に瀕している学校法人名城大学にとつて、学生、教職員、地元各界の力強い支援がなくては、とうてい正常な管理運営を行なうことはできないところである。以上のような事情から、学校法人名城大学の再建にふさわしい管理機関を作り出すためには、従来の役員、評議員にすべてその地位を去つてもらつて、陣容を一新するよりほかに方法がなかつたのである。このことは、本件調停法にもとづく調停案においても解決策として同様の方法が指向され、さらに右調停案に対し紛争当事者二〇名のうち一七名が同意しているということからも、当然の結論といえる。調停案を受諾した一七名の人々は、調停条項に従いそれぞれ役員、評議員の地位を去ることを承諾しているが、これは、あくまでも原告を含む調停案を受諾しなかつた三名をもあわせて、従来の役員、評議員が全員同時に辞職することを条件に、辞職の承諾をしているのである。したがつて、原告を含む三名が辞職しない以上、右一七名の辞職もありえないわけで、いぜんとして従来の役員、評議員はその地位にとどまつて紛争は解決されないのである。それで、原告を含む三名が辞職しない以上、同人らを解職する以外に名城大学の正常な管理運営を図る方法がなかつたのである。

この点につき、原告は、本件管理人引渡判決に従つて紛争を解決する方法があつた旨張主するが、被告には調停委員と同様何ら法的強制力を与えられておらず、いわゆる三者審議会の管理する学校法人名城大学に帰属すべき金員を強制的に管理人に引き渡させることはできないのである。仮に、何らかの方法により右金員の引渡を実現したとしても、それによつて同法人の紛争が解決するわけのものではない。現に、被告の説得により三者審議会より管理人へ金員の一部が引き渡されたが、その配分をめぐつて新たな争いを生じたばかりでなく、役員の地位をめぐる訴訟を初めとして、その他、多数の対立する役員間の訴訟はいぜんとして係属し、いつまでも紛争の解決にはいたらない学校法人名城大学の紛争を一挙に抜本的に解決し、正常な管理運営を図るためには、調停案の線に沿つて従来の役員、評議員を一新し、同時に三者審議会も解散して、新しい仮理事会のもとに管理運営を図つていくよりほかに方法はないのであつて、原告主張のように紛争当事者の一部の主張にこだわり紛争中の一部の事態に対処するだけでは、とうてい事態の根本的解決は期することができないのである。

また、原告は、原告が名古屋簡易裁判所へ申し立てた民事調停を利用する方法があつた旨主張するが、右調停は昭和三七年一一月二九日に申し立てられ、同年一二月一二日に第一回期日が指定されたもののようであるが、まつたく調停活動が行なわれないまま日時を経過し、昭和三八年一〇月一六日に取り下げられているのである。もともと、調停は当事者の互譲により紛争を解決しようとするものであるから、当事者が調停に協力しない場合には、いつまで経つても紛争の解決は期待できないのである。のみならず、右民事調停において仮に調停が成立したとしても、それは紛争関係者の一部にしかすぎない民事調停の当事者間において、しかも特定の事項について紛争が解決するにとどまり、必ずしも学校法人名城大学の正常な管理運営が回復されるとは限らないのである。

(2) 灘尾弘吉が文部大臣に就任したのは昭和三八年七月一八日、本件解職処分をしたのが同年八月二二日であるが、その間文部省の事務当局より詳細な報告を受け、また、原告より提出された各種書面をも十分検討のうえ、本件解職処分を行なつたものである。

次に、本件解職処分の通知書には「貴殿を解職する以外には、学校法人名城大学の紛争を解決し、同法人の正常な管理及び運営を図るために他に方法がないと認められるからである」としか記載されていないが、解職処分の通知書に理由を付すべきことは何ら法令上要求されているものではないから、右程度の理由しか付されていなくても、そのこと自体から違法の問題を生ずる余地はないのみならず、理由の付記が簡単だからといつて十分検討をしていないとか、あるいはその判断が恣意的であると速断しえないことはいうまでもない。

さらに、原告は、本件解職処分の通知書に原告の非行に関する記載がない旨主張するが、そもそも原告に非行があることは本件解職処分の要件とはされていないのであるから、原告の右主張は主張自体失当である。

(一一)  請求原因(二)の(9)の本件解職処分が公序良俗に反し無効であるとの主張は争う。

(1) 同(二)の(9)の(ア)の事実は認める。

(2) 同(二)の(9)の(イ)の事実のうち、田中派に反対する派の筆頭が佐々部晩穂であるとの点を除き、その余は認める。

学校法人名城大学における第一次および第二次紛争の経過は次のとおりであつた。

田中寿一理事長は名城大学の創立者であるところから、創立以来とかく独裁的な学校運営が多かつたようである。たまたま、昭和二九年九月ごろ田中理事長は理事会に計ることなく独断で法学部の東京進出を計画し、東京に建物を購入し、被告に学部設置の認可申請を行なつた。これが契機となつて日ごろ田中理事長の独裁的運営に不満をもつていた理事、教職員らは一せいに田中理事長の排斥運動を起こし、ここにいわゆる第一次紛争が始まつた。そして、役員、評議員は田中理事長派とその反対派に分裂して、互に主導権を争い、同年一一月一五日の理事会において田中理事長は理事、理事長の地位を辞任した。その後、今岡正益理事が理事長事務取扱となつたが、登記簿上はいぜんとして田中理事長のままであつた。田中寿一は昭和三〇年六月ごろより再び理事長であると称して行動を始めたため、反対派は同年九月二八日田中寿一の理事、理事長登記を抹消し、伊藤万太郎理事の理事長就任の登記を行なつた。このころから両派の間で訴訟によりその地位を争う法廷闘争が始まり、名古屋地方裁判所は、同年一〇月七日仮処分により伊藤万太郎理事長の職務執行停止を命じ、かつ、もと東北大学教授で弁護士である広浜嘉雄を理事長代行者に選任した。そして、名古屋地方裁判所および名古屋高等裁判所に両派より一〇数件の訴訟が相乱れて提起され、長期にわたり激烈な法廷闘争が行なわれた。また、両派は互に相手方を刑事告訴したこともあつて、紛争は一層深刻となつて行つた。この間昭和三二年五月ごろより一〇月ごろまでの間、訴訟の係属していた名古屋地方裁判所において、白木伸裁判官が調停主任となり、調停委員に河野勝斉(私立大学協会会長で日本医科大学理事長)および松岡熊三郎(明治大学学長)を指定し、調停を試みたが成功しなかつた。その後、昭和三二年一二月に広浜嘉雄は理事長職務代行者の地位を辞任し、代つて衆議院議員であつた福井勇が職務代行者に任命された。このように紛争は続いていたが、昭和三三年五月ごろより河野勝斉による事実上の斡旋が行なわれ、ようやく同年八月一四日両派の間に和解が成立した。そして、田中寿一が再び理事長に就任し、新しい理事会が構成されて、「我々は今回の内紛のよつて来た源泉について卒直、深甚なる反省を行ない、将来再びかかる不祥事を重ねざるよう、私学の本義に則し、自主と伝統の上に立ちながら、経営を組織化し、寄付行為の誠実なる施行体制を確立するとともに、諸般の処務規定の整備をいそぎ、もつて、明朗清新なる民主的学園を建設する決意である。さらに、内紛に伴う各人の行為は、これが愛学の精神に出でたる以上これを責め不当に解雇するがごとき小乗の途をとることなく、総智総力を統合し、もつて大乗的再建を図る所存である。」旨の理事声明が発表された。ここに第一次紛争は終つた。原告は第一次紛争中法商学部教授であつたが、田中寿一の訴訟代理人として終始法廷闘争に従事した。

第一次紛争解決後、しばらくして、再び学校法人名城大学の理事の間に紛争中の事務の後始末の方法や学校運営について意見の対立を生じた。すなわち、田中寿一理事長や原告(昭和三三年一二月理事就任)は第一次紛争中の反対派の行動について責任を追求しなければならないとして、反対派の中心であつた大串兎代夫理事兼教授らの罷免を主張し、また、慣例として確立していた学長、学部長の公選制を廃止して理事長による任命制にしようと計画したり、あるいは名古屋市昭和区天白町八事にある薬学部を春日井市鷹来町にある農学部内に移転して、薬学部の跡に歯学部を新設しようと計画した。これに対し、日比野信一学長理事、田中卓郎、小島末吉両理事らは、紛争中の反対派に対する処分は和解の際の理事会声明に反し、かつ、再び紛争を惹起すると反対し、また、学長、学部長の公選制の廃止は民主的学園の建設を唱つた理事会声明に反し、かつ、教学の自由、独立が侵されると反対し、あるいは既存学部、学科の内容の充実こそ緊急の問題であつて、歯学部の新設を計ることは財政的に無理であると歯学部の新設に反対した。その他教職員の任免、学内規約の整備、大学の設備充実のやり方等についても田中寿一理事長に独断専行の傾向が復活したとして、反対する空気が高まり、次第に学校法人名城大学の運営は円滑に行なわれなくなつた。そこへ、昭和三四年七月一七日に田中寿一理事長は、理事会、協議会(各学部長と各教授会において互選された二名あての協議員をもつて組織される)、教授会等の正規の議決を経ることなく、独断で日比野信一学長理事の学長たる地位を罷免し、続いて同月二六日ごろ反対派の田中卓郎、小島末吉両理事を解任し、また、監事、評議員の任期満了を理由に自分に有利な監事、評議員の選任を行なつた。さらに、そのころ四学部長、短大部長、教務部長、学生部長、教職課程部長、図書館長、事務局長事務取扱、各学部事務長、庶務課長等田中寿一理事長の意向に同調しない教職員一九名を解雇した。そして、田中寿一を理工学部長に、原告を法商学部長に、また、その他の後任にも田中寿一理事長に同調する者を任命した。ここに、役員および評議員は田中理事長派とその反対派に分裂して抗争することとなり、それに教職員、学生まで加わつて紛争が一段と大きくなり、いわゆる第二次紛争が勃発した。田中理事長によつて解任された日比野、小島、田中卓郎の各理事は名古屋地方裁判所の仮処分により理事の地位を保全するとともに、前記のとおり任期満了を理由に退任させられた評議員を母胎として昭和三四年一一月ごろより水野保一を理事長とする事実上の理事会を発足させた。そのため、登記されている田中派理事会と事実上の水野派理事会の二つが対立して存在し、互に正当性を主張して争い、抗争に明け暮れたため、理事会は学校を管理運営する機能を失つた。田中派理事会では四囲の状勢の進展に伴い昭和三四年一一月五日大野富之助を、また、昭和三五年二月一四日に原告を順次理事長に選任しその旨の登記を行なつているが、実権はいぜんとして田中寿一が握つていた。その後、田中寿一と原告は意見の対立をきたし、従来の二派が三派に分裂して争うようになつた。すなわち、田中寿一は同年五月一一日に原告の理事長、理事の地位を解任して、自ら理事長に就任するとともに、原告の後任として守田広海らを理事に選任し、それぞれその旨の登記を了した。これに対し、原告は本件地位保全判決をえて理事の地位を保全するとともに、同判決においては田中寿一の理事長としての職務執行が停止され、浦部全徳(もと名古屋弁護士会長)がその職務代行者に選任された。そのうち同年一一月一一日に田中寿一が死亡し、役員、評議員間に幾度か離合集散が行なわれ、結局、原告、守田広海らの一派と日比野信一、小島末吉らの一派と田中卓郎、田中建児らの一派の三派に分裂して互に抗争するようになつた。原告派では昭和三六年二月ごろ理事会の議決にもとづき原告が理事長に就任したと称しているが、登記は受理されなかつた。このように、二派、三派に役員、評議員が分裂して対立しているため、理事会、評議員会の開催、理事、理事長等の選任、学長、教授等の任免その他の重要な事務処理が法令、寄付行為等の定めるところに従い適法に実施されたか否かが疑問のような状態が継続していた。時々の実権掌握者の専断的行為もしばしばあつたようである。その結果、一派の者は他派の者を偽理事、偽教授などと呼んで罵倒し、相互に理事長、理事、学長等の地位の存在または不存在確認請求、理事選任決議等の無効確認請求その他の民事訴訟を提起し、それらの訴訟を本案訴訟とする仮処分を申請した。昭和三〇年ごろ以降昭和三七年初ごろまでに名古屋地方裁判所に提起された民事事件は約七〇件以上の多数に及んでいた。なお、昭和三五年三月ごろ事件の係属していた名古屋地方裁判所において和解を試みたことがあつたが、結局成功しなかつた。その他、各派は互に反対派を背任、業務上横領、詐欺、誣告等で刑事告訴を行ない、その数も一〇数件に及んでいる。このようにして役員、評議員の紛争はいつ果てるともなく続き、正に泥沼の状態を呈していた。一方、教職員らは、前記のような日比野学長の罷免や一九名の教職員の解雇等は大学の秩序を乱し、教学の自由と独立を侵すとして一せいに田中理事長への抗議に立ち上つていた。これに対し、田中理事長は、法商学部と農学部の教職員を半減するとか、この紛争に負けたら名城大学を廃止してしまうと発表して、教職員や学生に大きな不安を与え、さらに昭和三四年八月二五日には教職員に対する八月分の給料支払日であるにもかかわらず給料不払の挙に出でたりした。また、そのころすでに電燈料金、水道料金、ガス料金を数か月にわたつて滞納していたため、そのころ供給停止の予告を受け、授業の継続にも不安が生じた。このように不満や不安があつたにもかかわらず、教職員らは授業の継続を申し合わせ、協議会の管理のもとに教学を維持するようになつた。それとともに、教職員組合では同年九月愛知労働金庫より組合員の八月分給料に相当する金員を借り受け、これを組合員に貸し付けて生活の資に供した。他方、学生間においては同年九月の学生大会において、理事会が反省し、正常な理事会が成立するまでは授業料を延納する旨の決議を行ない、学生たちは授業料に相当する金員を愛知労働金庫に預金し、その払戻し、管理、支出を各学生の所属する学部の学生会に委任した。そして、同年一一月ごろ各学生会の代表によつて構成される全学生会協議会と教職員組合代表および協議会の代表の三者によりいわゆる三者審議会が結成され、学長の日比野信一がその代表者的地位についた。以後、右金庫に預金されている授業料相当の金員は、三者審議会の議決を経て、一部は教職員に対する生活資金として教職員組合に貸し付けられ、一部は学校運営費として日比野信一に貸し付けられるようになつた。また、受験料、入学金は各学部会計窓口を経て日比野信一が受領し、右金庫に預金し、同人が学校運営費その他に使用するようになつた。このようにして、学校法人名城大学においては、教学面は協議会が管理し、経理面は三者審議会が管理するという、きわめて変則的な管理、運営が行なわれた。右のような事態に加え、学生までが紛争に巻き込まれて落着いて勉強に励むことができないということは、学校教育法、私立学校法等に違反し、とうてい許されないところである。また、学校法人として当然備えていなければならない理事会、評議会の議事録や毎会計年度の収支予算決算、貸借対照表、財産目録等の法定帳簿が整理されておらず、教職員の任免が正規の手続を経ることなく行なわれ、田中、原告派の理事会によつて名城大学の財産である土地や学生寮の建物等が正規の手続を経ることなく売却されたりした。さらに、第三者より学校法人名城大学の土地、建物に対し差押えがなされたり、破産の申立てがなされた。

(3) 請求原因(二)の(9)の(ワ)の事実のうち、学校法人名城大学が旧鷹来工廠(旧名古屋陸軍造兵廠鷹来製造所)跡地のうち北端の三三、〇〇〇坪と南端の四七、七九七坪を国より借り受け、ここに農学部を設置していたこと、同法人が右場所に薬学部を設置することを計画し、被告の認可をえていたが、その後、薬学部は名古屋市昭和区天白町八事に移転されたこと、右跡地のうちの中央部約一三万坪が昭和三八年一月九日および同年四月二七日の二度に分けて佐々部晩穂が代表取締役をしていた東洋プライウツド株式会社へ払い下げられたこと、同会社は右払い下げを受けた土地のうち約四二、〇〇〇坪を右第二次払下げを受けた後間もなく他に転売したことは認めるが、その余は争う。東洋プライウツド株式会社に対する旧鷹来工廠跡地の中央部の払下げと学校法人名城大学の紛争や本件解職処分とは何らの関連もない。そもそも、同法人は右中央部の土地について所有権や賃借権等の使用権限を有しないことはもちろん、同土地の払下げを受けるについて何らの優先権をも有しておらず、払下げの申請をもしていなかつた。

(4) 請求原因(二)の(9)の(エ)の事実のうち、原告がその主張のような提唱をし続けたこと、昭和三七年四月四日に本件調停法が制定されたこと、本件調停法の内容が原告主張のような内容のものであることは認めるが、その余は争う。

本件調停法が制定されるに至つた経緯は次のとおりである。

すなわち、前記(2)において述べたように、学校法人名城大学の紛争は激化、長期化し、大学の有する公共性に照らしてもはや放置できない段階に達しているにもかかわらず、紛争関係者による自主的な解決は裁判手続による解決をも含めてほとんど見通しが立たなかつた。被告は、古田重二良、河野勝斉、友岡久雄といつた私学界の有力者三名に依頼して、調停を試みたが成功せず、私立大学審議会に対し学校法人名城大学役員の解職の勧告を諮問したところ、同審議会は解職の勧告が行なわれて運営の正常化ができないかぎり、名城大学の解散もやむをえない旨の答申を行なつたので、昭和三五年六月二二日学校法人名城大学に対し私立学校法五九条三項にもとづき役員の解職を勧告したが、無視されてしまつた。そこで、被告としては同法六二条による解散を行なうほかなかつたが、解散となれば社会的影響がはなはだ大きく、解散に至る前に何とか紛争を解決することが強く要望された。ことに、前記のように破綻に瀕した大学であるにもかかわらず、毎年二、〇〇〇名位の学生が入学し、常時六、〇〇〇名位の学生が在学していたので、地元においても学校法人名城大学の存続を図りたいという強い要望がなされた。そこで、被告は学校法人運営調査会の答申のうち調停制度を設けることという部分をとり入れることにし、本件調停法が制定されるに至つたのである。

(5) 請求原因(二)の(9)の(オ)の事実のうち、原告や守田広海らが正論の士であるとの点を争い、その余は認める。

長年にわたる激しい紛争の中においては、紛争当事者にはそれぞれ相当の言い分があり、これらの是非善悪を客観的に一概に決することは必ずしも容易なことではない。

(6) 請求原因(二)の(9)の(カ)の事実のうち、被告が佐々部晩穂、大島一郎、桑原幹根、杉戸清および渡辺捨雄を仮理事に選任したこと、佐々部晩穂が鷹来工廠跡地の払下げを受けた東洋プライウツド株式会社の代表取締役であり、大島一郎および桑原幹根が右払下げの答申をしたころの国有財産東海地方審議会の委員であつたことは認めるが、渡辺捨雄がもと右会社の嘱託であつたかどうかは知らず、その余は争う。

桑原幹根は右払下げの答申をした右審議会には出席していない。

(一二)  請求原因(三)の主張は争う。

(一三)  同(四)の事実のうち、本件地位保全判決がなされていたことおよび被告が原告の学校法人名城大学の理事の地位を否定し、同法人には理事が欠けたとして仮理事の選任等の行為に出たことは認めるが、その余は争う。

本件地位保全判決は、原告がなお従来どおり学校法人名城大学の理事の地位にあることを本案判決の確定に至るまで暫定的に確認する確認的裁判にすぎず、これにより実体的法律関係と離れた別個の訴訟上の地位を原告に対し創設・付与する非訟的・形成的処分ではない。すなわち、本件地位保全判決は、いわゆる任意の履行に期待する仮処分と称されているものであつて、執行力も形成効も有せず、学校法人名城大学の理事会による解任決議前に原告の有していた理事たる地位が暫定的に確認されるにすぎないのである。したがつて、実体法上の原告の理事たる地位が本件解職処分により消滅せしめられる以上、本件地位保全判決は将来に向つて関係人に対する拘束力を失なつたものというべきである。

四  補助参加人の主張

(一)  学校法人名城大学紛争の性質および原因について

(1) 学校法人名城大学における紛争はいわゆる第一次紛争および第二次紛争を合わせ前後一〇年の長期にわたつたが、その主な紛争は役員間における同法人の管理運営の方針についての対立抗争であり、それは主として妥当性ないし合目的性に関する非法律的紛争であつた。そして、この非法律的紛争とは別個にあるいはこれに随伴して理事や理事長の地位の存否、教職員に対する解雇の効力の有無といつた法律的紛争が惹起されたのである。学校法人名城大学におけるこのような各種の紛争は正常な管理運営を著しく阻害し、かつ、その結果法令の規定に違反する事態が生ずるに至つたのである。

(2) 学校法人名城大学のいわゆる第一次紛争の原因は、同法人の創立者であり理事長であつた田中寿一の寄付行為や学則を無視した油断専行の学校経営とこれに対する他の理事や教職員の不満にあつた。すなわち、田中寿一は、ほとんど理事会を開くことなくほしいままに学校経営を独断専行し、経理事務のうち主なものは田中寿一の私宅で行なうなど財政をきわめて不明朗にし、教職員の待遇もその個人的好意によつて左右し、既設学部、学科の内容の充実を図ることなく、いたずらに新しい計画を追い求めたりした。このような田中寿一の独裁的態度や大学を私物化する態度に対し他の理事や教職員、学生は強い不満を抱いていたところへ、昭和二九年八月に名城大学の法学部を東京へ進出させる計画を田中寿一が独断専行しようとしたため、ここにいわゆる第一次紛争が発生するに至つたのである。

第一次紛争中、原告は田中寿一をせん動し、同人の好まない訴訟を提起せしめ、自らその代理人となりあるいは当事者となつて、紛争を拡大紛糾せしめた。

(3) いわゆる第二次紛争(この紛争はさらに昭和三六年二月一四日に浦部全徳理事長職務代行者がその地位を失うまでとそれ以後本件解職処分がなされるまでの二つの時期に区分することができる。)の原因は、田中寿一理事長および原告が第一次紛争解決に際し発表された理事会声明を無視し、第一次紛争中反対派に属した人々の責任を追求しようとしたことにある。理事や評議員は二派あるいは三派に分れて抗争し、教職員や学生も巻き込まれ、数多くの民事訴訟が提起され、紛争は末期的症状を呈するに至つた。

原告は、第二次紛争の当初においては田中寿一を支援していたが、その後同人とも対立抗争するに至り、公然と学校法人名城大学の理事長を僣称し、同法人の資産を違法に処分し、管理運営を破壊せしめるような行動をとるに至つた。

(二)  本件調停法一〇条四項の合憲性について

(1) 教育の自由ないし私立学校経営の自由を保障する憲法上の明文の規定はないが、右のような自由が原則として憲法の保障するところであることは思想・良心の自由、表現の自由、学問の自由ないし職業選択の自由を保障する規定の精神から明らかである。学校教育法および私立学校法は学校法人による私立学校設置の自由を認めている。

しかし、学校教育はどこまでも国の将来を荷うべき青少年の人づくりを目的とする事業であり、その意味で高度の公共性を有するものであるから、学校法人による私立学校設置の自由も私人の完全な自由に放任しておくことは許されない。そこで、私立学校法は学校法人の設立、管理、解散、助成および監督について詳しく規制し、また、学校教育法は私立学校の設置は監督官庁の定める設置基準に従わなければならないとし、私立学校法により私立学校の設置廃止等はつねに監督官庁の認可にかかわらしめられているのである。

すなわち、私立学校の正常で健全な運営は決して単なる私事ではなく、高度に公的な関心事である。換言すれば、学校法人の紛争が生じ、その正常な管理運営が妨げられ、その結果、私立学校における教育の円滑な実施が行なわれないことは、何よりも教育を受ける学生にきわめて悪い影響を及ぼし、各国民に十分な教育を確保する国家としては無関心ではいられないのである。

(2) 本件調停法は学校法人の紛争を解決するための国の関与の一方式を定めたものであるが、同法一〇条四項は被告に学校法人の役員の解職権を与えているので、それは教育の自由ないし私立学校経営の自由を侵さないかということが問題となる。本件調停法はあくまで紛争の当事者間に自主的調停を成立させることを第一義とし、それが成功せず、しかもほかに方法がないときに最後の手段として被告に役員の解職権を認めているのである。しかも、それもやむをえない臨時の措置という建前をとり、二年間の限時法としているのである。本件調停法がこのようにきわめて慎重な態度で、多くの条件の下に、最後の伝家の宝刀的手段として被告に役員の解職権を認めたことは、学校法人名城大学のような目にあまる紛争により教育機関としての能力を失つたような場合を考えれば、教育の公共性からいつて十分に承認されると解すべきである。なお、国のある事業への介入の適否は、ひとえに当該事業の公共性の性質および程度によつて決すべきであり、国が当該事業へ出資しているかどうかによつて決すべきものではない。

(3) 本件調停法一〇条四項は裁判を受ける権利を侵さないかということが問題となる。同条項にもとづく役員の解職権は、学校法人の紛争を解決し、正常な管理運営を図り、もつて私立学校における教育の円滑な実施に資するために被告に認められた行政処分である。それは、当該役員が役員たる地位を取得したかどうか、あるいはその地位を喪失したかどうかを判断するものではなく(役員の地位確認訴訟においてはまさにかかる事項が審判の対象となる。)、一応役員の地位を有していることを前提として、当該学校法人の正常な管理運営を図るため他に方法がないと認められるときに、将来に向つて当該役員の地位を失わせるためになされる行政処分である。もとより、この行政処分の合法性については行政訴訟を提起して争う途が残されているのである。本件調停法一〇条四項は裁判を受ける権利を侵すものではなく、紛争の司法的解決を抑止するものでもない。

(4) なお、本件調停法一〇条四項は、学校法人の正常な管理運営を図るため他に方法がないと認められる場合に、被告に役員の解職権を与え、その行使により学校法人の紛争を解決し、もつて学問の自由と学生の教育を学ける権利を保障しようとするものである。すなわち、同条項は決して学問の自由を侵すものではない。

(三)  本件解職処分の合憲性について

原告は、本件解職処分当時原告の提起した理事の地位確認請求訴訟が名古屋高等裁判所に係属していたが(本件名古屋高裁事件)、被告が本件解職処分をした結果右訴訟は必然的に原告の敗訴に終らざるをえないので、本件解職処分は原告の裁判を受ける権利を侵害する旨主張する。しかしながら、裁判を受ける権利とは本案の裁判を受ける権利、すなわち、訴えを却下されずに請求の当否につき裁判を受ける権利を意味するにとどまり、本案について勝訴の裁判を受ける権利までをも意味するものではないのである。本件解職処分により原告の理事たる地位が将来に向つて失われる結果、本件名古屋高裁事件においては原告の請求が棄却されることになるが、それは本案の裁判であつて、決して原告の裁判を受ける権利を侵害するものではないのである。

(四)  本件解職処分の合(適)法性について

(1) 原告は、本件解職処分以外にも、裁判、とくに当時すでに示されていた裁判所の判断、とりわけ本件管理人引渡判決に従つて学校法人名城大学の紛争を解決するという方法があつたので、本件解職処分は本件調停法一〇条四項の要件がないのになされた違法無効のものである旨主張する。

(ア) しかしながら、学校法人名城大学の紛争中に裁判所へ提起された民事事件の数は約一〇〇件にものぼり、たとえば同法人の管理運営に関する紛争をめぐる主な民事事件をあげれば第一次紛争中のそれは別表(一)のとおりであり、第二次紛争中のそれは別表(二)のとおりであつた。そして、同一の法律問題に関し相反する裁判がなされたため、紛争を裁判によつて根本的、終局的に解決することが困難であつた。その顕著な例としては、理事長が欠けている場合に他の理事が各自学校法人名城大学を代表する権限を有するかどうかに関する。これを積極的に解するものとしてはたとえば別表(二)の番号47、52、61の各事件についてなされた裁判例があり、消極に解するものとしてはたとえば別表(二)の番号21、22、48、50、51、53、56、58の各事件についてなされた裁判例がある。また、ある理事の選任決議を無効とする裁判がなされた場合、右裁判がなされるまでの間は右理事の参加する理事会によつてなされた他の理事の選任も無効となるかどうか、あるいはある理事の地位を保全する仮処分がなされた場合、右仮処分以前に右理事の参加していない理事会によつてなされた他の理事の選任は有効かどうかにつきいずれも積極、消極両様の裁判がなされた。

このように、同一の法律問題について同一の裁判所で裁判官を異にするにしたがい異つた裁判がなされ、ことに仮処分事件についてはその性質上最高裁判所へ上告できないため裁判の統一が期待できなかつたのである。

(イ) 本件管理人引渡判決による紛争解決の可能性について

本件管理人引渡判決は、名城大学学長日比野信一に対し、同人が学校法人名城大学のために入学金や授業料等として収受し、保持する金員を裁判所の選任する管理人に引渡すことを命じるとともに、入学金や授業料等に相当する金員の借入れを禁止しているものであるが、名古屋地方裁判所が板橋菊松を管理人に選任したのちは日比野信一は右のような金員を収受し、保持しあるいは借り入れるということをまつたくしなかつたので、右判決に違反するということはなかつた。のみならず、日比野信一は教職員組合、学生会を鋭意説得して受験料を自ら収受し(本件管理人引渡判決は日比野信一が自ら受験料を収受すべきことまでも命じているものではないが)、昭和三八年二月二二日板橋管理人に対し九、三八二、五〇〇円を引き渡した。そして、日比野信一は本件管理人引渡判決に従い板橋管理人に対し授業実施のため緊急に支払うことを必要とする経費八、八四三、五四三円の交付を請求したが、同人はこれに応じなかつた。そのため、教職員組合や学生会は板橋管理人に対する不信感を一層強くし、以後日比野信一の説得に応じようとしなかつた。そもそも、本件管理人引渡判決は、日比野信一に対する関係でなされたものであつて、その他の者に対して作為、不作為を命ずるものではないから、これによつて紛争を全体的に解決することは困難であるばかりでなく、同判決において定められている管理人の権限は暫定的であり、しかも消極的に金銭を預かるといつた程度のことであつて、何ら大学経営のための積極的な権限が与えられているものではなく、ましてや正当な理事長や理事が誰であるかを確定するものではなかつたのであるから、これによつて紛争を解決することは不可能であつた。また、日比野信一の行為と本件解職処分とは何ら関係がないのであるから、本件解職処分が本件管理人引渡判決を無視するものであるとの主張は失当である。そもそも、本件管理人引渡判決は紛争が根本的、終局に解決されるまでの(その解決は必ずしも本案訴訟による解決のみを予定するものではない。)暫定的な仮の措置であつて、本件調停法にもとづく調停および本件解職処分、被告による仮理事の選任という一連の行為によつて学校法人名城大学の紛争が終局的、根本的に解決されるに至り、本件管理人引n判決はその役割を終えたものと解すべきである。

(2) 原告は、本件解職処分はいわゆる三者審議会による経営の違法管理を隠ぺいし、また、佐々部派による旧鷹来工廠跡地の払下げ・転売という違法な目的を達成させるために、正論の士である原告を排除するためなされたものであるから(薬学部の八事校舎への移転も右目的を達成させるための一環として名城大学を旧鷹来工廠跡地から追い出すためになされた。)、それは公序良俗に違反し、無効である旨主張する。そこで、ここではいわゆる三者審議会なるものの実態についてまず述べ、ついて薬学部の八事校舎への移転について、最後に、原告は決して正論の士ではなく、非行があつたことについて述べる。

(ア) いわゆる三者審議会について

学校法人名城大学の第二次紛争中にいわゆる三者審議会が生まれたが、それは同法人の経営を管理するものでは決してなかつた。すなわち、田中寿一理事長は昭和三四年八月主要教職員の大量解雇を行なつたり、全教職員に対する俸給支払を停止したりし、その停止が四か月に及ぶに至り、教職員の生活の窮乏はたえうる限界に達し、授業の継続は不可能になつてきた。さらに、そのうえ、ガス、水道、電気料金の不払が累積し、これらの供給が停止されるに至り、学生の実験も放棄しなければならなくなつてきた。かかる事態に対処し、授業や実験の継続を可能とするため、学生たちは学生会において授業料の延納を決議するとともに、それぞれ授業料相当額を学生会に預託し、学生会はこれを教職員組合の名義を借りて愛知労働金庫に預金し、他方日比野信一学長に対し授業継続に必要な経費を貸与し、また、教職員組合に対しては生活資金を貸与する旨を申し入れてきた。そこで、貸主たる学生会の代表と借主たる教職員組合および大学協議会の各代表が貸借問題を交渉検討するため、定期的に毎月一回、その他必要に応じて臨時に会合を持つようになつた。これがいわゆる三者審議会であつて、それは金銭収支の主体となつたり、学校経営を担当する機関ではなく、あくまでも金銭の貸借を交渉する場にすぎなかつたのである。

(イ) 薬学部の八事校舎への移転について

原告は、薬学部の八事校舎への移転は佐々部派が薬学部の教授団と結託して行なつたもので、佐々部派による旧鷹来工廠跡地の払下げを受ける計画の実現のための一環として行なわれたものである旨主張するが、事実無根である。右移転は当時の理事長職務代行者である広浜嘉雄(同人は田中寿一の申請にもとづき裁判所により選任されたものである。)の承諾のもとに行なわれたものであり、そもそも薬学部は農学部の校舎を借りて教育が行なわれていたが、施設として不十分であり、地理的にも不適当であつたうえに、農学部の敷地内に薬学部の校舎を建築するについては東海財務局より許可をえていなかつた。そして、たまたま法商学部を設置してある駒方校舎に余裕があつたので、昭和三〇年四月ごろここに仮に移転し、約一年後に八事校舎に薬学部校舎を建築して移転したのである。右建築を請負つたのは当時の理事今岡正益が代表者をしている会社であつたが、それは財政的に苦しい学校法人名城大学を救うために同会社がもつとも低廉な請負金額を申し出てくれたためである。

(ウ) 原告の非行について

原告は自らを正論の士である旨主張するが、決してそうではなく、原告には次のような非行があつた。

(a) 原告は、第二次紛争中、学校法人名城大学の寄付行為の定める場合にあたらないのに、しかもその定める手続にもよらずに、同法人の財産である山林、宅地、寄宿舎建物等を売却してしまつた。そのうえ、右売却代金の使途は不明である。

(b) 原告は、名城大学教授としての地位を放棄し、弁護士の地位を悪用して、学校法人名城大学の紛争に介入しこれを助長拡大させ、訴訟代理人としてあるいは自ら当事者として約一〇〇件にのぼる民事事件を裁判所に提起し、紛争の解決を困難ならしめるとともに、神聖な教育の場を法廷闘争の渦中に陥れた。とりわけ、入学許可禁止や学生募集禁止の仮処分を申請したのは常軌を逸しているといわざるをえず、また、民事訴訟を有利に展開するため無根の事実をねつ造しし、相手方を告訴告発することを常套手段としたが、これは弁護士の品位をけがしたものといわなければならない。

(五)  本件解職処分後の学校法人名城大学について

学校法人名城大学の役員と称していた者たちは本件調停法にもとづく調停の条項に従い辞任したりあるいは被告の解職処分によりすべてその地位を失うことになつたので、被告は桑原幹根ほか六名を仮理事に選任した。仮理事会はただちに声明を発して大学再建への熱意を示したところ、教職員は仮理事会への全面的な協力体制を確立して仮理事会の管理下に教育と研究に従事し、学生会も授業料延納決議を解消し、仮理事会の下に正常な経営の管理を回復させるに至つたのである。そして、仮理事会は昭和三九年二月一九日三雲次郎ほか七名を理事に選任し、この理事の手によつて学校法人名城大学の再建が着々と進められ始めたのである。

(六)  本件解職処分の本件地位保全判決に及ぼす影響について

本件解職処分は将来に向つて原告の理事たる地位を失わしめるものであるが、それはただちに本件地位保全判決によつて保全された原告の理事としての仮の地位を失わしめるものではなく、本件地位保全判決の取消事由となるにすぎない。なお、本件地位保全判決は取り消されていないが、補助参加人が本件解職処分後原告を理事として遇しなかつたことは、同処分後の事情であつて、同処分の効力に影響を与えるものでないことはいうまでもない。

五  被告の主張に対する原告の答弁

学校法人名城大学における第一次および第二次紛争の経過に関する被告の主張(三、(二)、(2))は争わない。ただし、それは紛争の表面的な経過であつて、紛争の真相は原告がすでに請求原因(一、(二)、(9)、(ウ)ないし(カ))で述べたとおりである。

第三立証〈省略〉

理由

第一本件解職処分の無効確認請求について

一  学校法人名城大学の沿革と紛争の経過

学校法人名城大学の沿革に関し原告の主張する事実(一、(二)、(9)、(ア))ならびにその紛争の経過に関し原告の主張する事実(一、(二)、(9)、(イ)、ただし、田中派に反対する派の筆頭が佐々部晩穂であるとの点を除く。)および被告の主張する事実(三、(二)、(2))は、その紛争の経過が表面的な経過にすぎないものであるかどうかはしばらくおき、いずれも当事者間に争いがない。

成立に争いがない甲第四号証、同第四五号証、同四七号証、同第四八号証、その方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるので真正な公文書と推定すべき丙第九号証の一ないし三(ただし、同号証の二のうち桐生浪男作成の認諾書は弁論の全趣旨によりその成立を認める)、同第一〇号証の一、二、同第一一号証、同第二〇号証の一、同第二一号証、同第二二号証の一、二、同第二六号証の二、同第二八号証、同第三一号証、同第三三号証、同第三四号証の二ないし四、同第三五および第三六号証の各一、二、同第三八号証の二ないし四、同第四〇号証、同第四二号証、同第六一号証、同第八〇号証、証人村井藤十郎の証言および弁論の全趣旨により成立が認められる丙第五号証、同第一二号証(ただし、裁判所の受付印の部分はその方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるので真正な公文書と推定する。)、同第一三および第一五号証の各一、二ならびに同第一八号証(ただし、いずれも裁判所の受付印および消印の部分はその方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるので真正な公文書と推定する。)、同第二〇号証の二、三、同第二三号証、同第二四号証、同第二六号証の一、三、同第二七号証、同第二九および第三〇号証(ただし、いずれも裁判所の受付印と消印の部分はその方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるので真正な公文書と推定する。)、同第三二号証の一、二、同第三四号証の一、同第三七号証(ただし、裁判所の受付印と消印の部分はその方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるので真正な公文書と推定する。)、同第三八号証の一、同第三九号証(ただし、裁判所の受付印の部分はその方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるので真正な公文書と推定する。)、同第四一号証(ただし、裁判所の受付印、期日呼出状及答弁書催告状および封筒の部分はその方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるので真正な公文書と推定する。)、同第四三号証の一ないし三、同第四四号証に弁論の全趣旨を総合すれば、学校法人名城大学の管理運営の方法をめぐる紛争に関し第二次紛争中に裁判所へ提起された民事事件の主なるものは別表(二)のとおりであることが認められ、この認定に反する証拠はない。

二  本件調停法の制定とその内容

(一)  本件調停法の制定

成立に争いがない甲第四二号証の一、二、同第四三号証、乙第二ないし第一〇号証、同第一一号証の一ないし四、その方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるので真正な公文書と推定すべき乙第一二号証の一、二、同第一三ないし第一七号証、弁論の全趣旨により成立が認められる丙第一九号証、同第五〇ないし第五二号証、同第八八ないし第九二号証、同第九五号証、同第九八号証、同第九九号証、同第一〇二ないし第一〇六号証、甲第八、九号証、同第五三号証に証人杉江清および同平間修の各証言を総合すれば、本件調停法が制定されるに至る経緯は次のとおりであつたことが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

昭和三四年七月学校法人名城大学に第二次紛争が発生し、前記認定のように、次第にそれが深刻化し、かつ、長期化するにしたがい各方面から強い関心を呼ぶようになつた。衆参両議院の文教委員会においても同年一〇月以降数度にわたり右紛争問題をとりあげ、田中寿一理事長その他の関係者を喚問したり、被告ならびに文部省当局に対し右紛争の解決のために最大の努力を払うよう超党派的立場で要望した。さらに、地元各界の士より被告に対し私立大学の公共性の見地から積極的に紛争の解決に乗り出すよう強い要望がなされた。そこで、被告は昭和三五年一月二〇日第一次紛争を和解に導いた河野勝斉(私立大学協会会長で日本医科大学理事長)と古田重二良(私立大学審議会委員で日本大学理事長)および友岡久雄(法政大学常務理事)の三名に紛争当事者間の調停を依頼した。右三名は、紛争の実情を調査するとともに、同年五月までの間に三度にわたり紛争当事者に対し紛争解決の方法について勧告をしたが聞き入れられなかつた。そこで、右三名は同月一八日被告に対し、報告書を提出したが、その中で、学校法人名城大学には数々の法令・寄付行為違反の事実があり、その運営は正常とはいえず、私立学校の公共性の立場からもはや放置しておくことは許されないので、被告において、調査を行ない、私立学校法にもとづく役員解職の勧告を行ない、それが受け入れられないときは解散命令もやむをえない旨報告した。そこで、被告は係官を現地に派遣して調査を行ない、同年六月一五日私立大学審議会に対し役員解職の勧告を諮問したところ、同審議会は解職の勧告が行なわれ、運営の正常化ができないかぎり、学校法人名城大学の解散もやむをえない旨の答申をしたので、被告は同月二二日学校法人名城大学に対し田中寿一ほか六名の役員の解職を勧告したが、無視されてしまつた(なお、この段階で原告は被告に辞表を提出していたので、右解職の勧告からは除外された)。また、一方、被告は主として私立学校関係者から構成される学校法人運営調査会を設け同月八日学校法人の紛争の防止および解決の方法について諮問したところ、同年一〇月一四日「学校法人の紛争の原因は種々であるが、帰するところは関係者の公共性に対する認識の欠如によるということができる。学校法人の管理の適正を期するためには、理事・評議員等学校法人の機関の選任・解任の方法、権限の明確化等検討すべき問題が少なくないが、これはしばらくおき、少なくとも次のような措置を講ずることが必要である。(ア)調停制度を創設すること。学校法人紛争は本来訴訟に適しない事例が少なくないので、公正迅速な解決を図る趣旨から、調停の方法により解決を図ることが適正と考えられる。すなわち、学校法人紛争の定義を明らかにし、その紛争により教育の遂行に支障を生じたとき、これを調停委員の調停に付することができることとし、調停成立後当事者が正当な理由なく違背した場合、私立大学審議会の意見をきいてその是正を命じ、その他法令違反等一定の要件の下に、同審議会の意見をきいて役員の解職等の措置をとることができることとすること。(イ)学校法人の解散に関する制度を整備すること。学校の公共性にかんがみ教育上の見地から清算学校法人に対する現行の裁判所の監督の一部を所轄庁に移す等、学校法人の解散に関する現行制度について整備を行なうこと。すなわち、学校法人紛争により学校法人の正常な運営が著しく阻害され、その設置する学校法人に管理されることが適当でない場合を解散命令の事由とするとともに、学生、生徒等が在学している私立学校を設置する学校法人が解散した場合、所轄庁が清算人を選任・解任しうるものとし、あわせて当該私立学校の設置者変更の途を開く等の措置をとること。」という趣旨の答申をえた。被告としては私立学校法六二条により学校法人名城大学に解散を命ずる方法が残されていたが、常時六、〇〇〇名位の学生と多数の教職員を擁する名城大学に対し解散命令が出された場合、その社会的影響は大きく、地元においても何とか紛争を解決して名城大学の存続を図りたいという強い要望がなされたので(ことに、地元選出の国会議員一〇名は党派を超えて「名城大学の問題は、すでに長期にわたり、教学に重大な影響を与え、最悪の事態も予想され、憂慮にたえない。この際文部省は、国会の意向に従い、三斡旋委員の意思にそつて、名城大学問題解決のため速やかに断固たる決意をもつて役員を一新し、一日も早く教職員、学生が安心して研究と勉学とに専念しうる大学たらしめるよう努力すべきである。地元衆参国会議員団は超党的に一致して自ら努力することを申し合わせるとともに、強くこのことを文部省に要望し、その成果を期待する」旨の声明書を出していた。)、各方面において被告による解散命令に至る前段階の解決方法が模索された。そして、前記学校法人運営調査会の答申のうちの調停制度を法制化し、これにより紛争を解決しようという動きが強くなり、途中、社団法人日本私立大学連盟からの反対の動きもあつたが、結局、政府提案により昭和三七年四月四日に法律第四〇号として本件調停法が制定され、公布されるに至つた。

(二)  本件調停法の内容

本件調停法の目的は、学校法人紛争(同法二条三項において、学校法人紛争とは学校法人の役員または評議員の間における当該学校法人の管理および運営についての紛争をいうと定義されている。)が生じ、これにより学校法人の正常な管理および運営が行なわれなくなり、かつ、そのため当該学校法人が法令の規定に違反するに至つた場合において、当該紛争の処理に関し調停その他の措置を定めることにより、学校法人の正常な管理および運営を図り、もつて私立学校における教育の円滑な実施に資することにある(同法一条)。すなわち、学校法人紛争により、学校法人の正常な管理および運営が行なわれなくなり、そのため当該学校法人が法令の規定に違反するに至つた場合において、所轄庁は、当事者の申し出または審議会の建議もしくは審議会の意見を聞き、職権により調停委員(三人以上五人以下とし、事件ごとに、審議会の委員その他学識経験者のうちから任命する。)に調停を行なわせることができる(同法三、四条)。調停委員は、当事者に出頭を求めて意見を聞き、資料の提出を求めることができ(同法五条)、また、調停成立前の措置として、調停の成立を困難にするおそれがある行為につき必要な勧告を行なうことができる(同法六条)。調停は、当事者の全部または一部の間に合意が成立することによつて成立するほか(同法七条)、調停委員が全員一致で調停案を作成し、期限を付して当事者に受諾を勧告し、当事者がこれを受諾することによつて成立する場合もある(同法八条)。所轄庁は、成立した調停の内容を確保するため、当事者や学校法人から必要な報告を求め、また、調停内容に違反した場合等に是正のため必要な措置を命ずることができる(同法九条)。所轄庁の是正命令の違反者または調停の成立しない当事者について、その者が当該役員または評議員の職にとどまつていたのでは学校法人の正常な管理運営を図ることができないと認めるときは、所轄庁は、あらかじめその者に弁明の機会を与えるとともに審議会の意見を聞いたうえ、当該学校法人に対しその者の解職の勧告をすることができることとし(同法一〇条一、三項)、なおこの場合、当該学校法人が勧告にかかる措置を実施することができないと認められるときは、直接その者に対し辞職を勧告することができ(同法一〇条二項)、さらに、勧告にかかる者が解職されない場合または辞職しない場合において、学校法人の正常な管理および運営を図るため他に方法がないと認められるときは、所轄庁は当該勧告にかかる者を解職することができる(同法一〇条四項)。なお、本件調停法は施行の日から起算して二年を経過した日に効力を失うこととされている(同法付則四項)。

三  本件解職処分とその効力

被告が昭和三八年八月二二日原告に対し本件調停法一〇条四項にもとづき学校法人名城大学の理事および評議員を解職する旨の処分(すなわち本件解職処分)をしたことは当事者間に争いがない。原告は本件解職処分は無効であると主張するので、その主張する無効事由について順次検討する。

(一)  本件調停法一〇条四項は憲法二二条一項に違反するか。

教育事業ないし私立学校運営の自由は、営業の自由の一種として、憲法二二条一項で保障する職業選択の自由に含まれると解すべきである。さらに、私立学校の経営者がその創意と責任において自主的に学校を管理運営していくことにより学校教育をより豊かなものにし、ひいては憲法がひろく保障している学問の自由、思想・良心の自由、表現の自由等の精神的自由を実質的に稔り多いものとしていくことが期待されているというべきである。しかしながら、他方、学校教育は、国の将来を荷うべき青少年の人づくりを目的とする事業、すなわち、あらゆる政治権力の源泉たる主権者として各国民がその責任を分担していくに足りる肉体的および精神的能力を具えるようになることを目的とする事業であり、その意味で高度の公共性を有するものである。

教育基本法は、その前文において、民主的で文化的な国家を建設し、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする憲法の理想の実現は根本において教育の力にまつべきものであり、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならないとし、六条一項において、法律に定める学校は公の性質をもつものであつて、国または地方公共団体のほか法律に定める法人のみがこれを設置することができるとしている。これをうけて、私立学校法は、学校法人の設立、管理、解散について規定をおき、設立の際の寄付行為やその後の寄付行為の変更を所轄庁(同法四条により私立大学および私立大学を設置する学校法人の所轄庁は被告とされている。)の認可にかからしめ、国または地方公共団体による補助金の交付等による助成と助成を受けている学校法人に対する所轄庁の勧告権限を定め、また、私立学校や大学の学部等の設置廃止を所轄庁の認可にかからしめ、所轄庁の私立学校に対する報告書の提出を求める権限や私立学校が法令の規定に違反した場合等の閉鎖を命ずる権限を規定し、さらに、学校法人が法令の規定に違反し、または法令の規定にもとづく所轄庁の処分に違反した場合において、他の方法により監督の目的を達することができない場合には、所轄庁は学校法人に対し解散を命ずることができる旨を規定している。これら私立学校法にもとづく学校法人ないし私立学校に対する規制は、私立学校の特性にかんがみ、その自主性を重んじるとともに、公共性を高めることにより、私立学校の健全な発達を図ることを目的としているわけである(同法一条)。換言すれば、私立学校の教育を個性豊かな創意にみちたものにするためには、これを設置している学校法人の管理運営の自主性を尊重する必要があるとともに、教育の公共性の面からは、右管理運営が正常に行なわれ、これにより私立学校の教育が円滑に実施されることが公共の福祉の強く要請するところとなるのである。すなわち、学校法人ないし私立学校に対する種々の規制は、教育の公共性という公共の福祉の観点から合理化されるわけであるが、いかなる規制でも許されるというものではなく、その限界(すなわち、規制が許される場合とその方法・程度についての限界)は右公共性の要請と私立学校経営の自由ないし学校法人における管理運営の自主性の要請との調和点に求められなければならない。

ところで、本件調停法一〇条四項は、被告に対し学校法人の理事や評議員を解職する権限を与える点で、私立学校経営の自由ないし学校法人における管理運営の自主性を制限し、これに干渉することを認めるものであることは明らかである。そこで、この制限ないし干渉が許されるものであるかどうかを考えるに、本件調停法は、前記のとおり、学校法人紛争が生じ、これにより学校法人の正常な管理運営が行なわれなくなり、かつ、そのため当該学校法人が法令の規定に違反するに至つた場合に、まず調停委員による調停により紛争の当事者間に自主的に紛争を解決させることを第一義とし、調停が成立しない場合には、その成立しない当事者が理事等の職にとどまつていたのでは当該学校法人の正常な管理運営を図ることができないと認められるときは、あらかじめその者に弁明の機会を与えるとともに、審議会の意見を聞いたうえで、その者の解職ないし辞職の勧告をなし、それが聞き入れられない場合に学校法人の正常な管理運営を図るため他に方法がないと認められるときに、最後の手段として所轄庁による理事等の解職が認められることになつているのである。学校法人紛争が生じ、その正常な管理運営が妨げられ、学校法人が法令の規定に違反し、その結果、学校教育の円滑な実施が行なわれなくなることは、何よりも教育を受ける学生に対しきわめて悪い影響を及ぼすものであるから、国家がこのような紛争の解決のために最大の協力をすることはまさしく公共の福祉の要請に応えるところといわなければならず、学校法人における正常な管理運営を回復するために、他に方法がないと認められる場合に(この要件の認定は所轄庁の恣意に委ねられているものではなく、公平な第三者が客観的にみて他に方法がないと認められる場合であることを要すると解すべきである。)、調停や審議会への諮問という慎重な手続を経たうえで、学校法人に対する解散命令(私立学校法六二条)といつた終局的な段階に至る前の救済方法として被告に理事等の解職権を認めることは、教育の公共性という公共の福祉の観点からみてまことにやむをえないものといわなければならない。ことに、前記認定のような学校法人名城大学における紛争のように、紛争が長期化かつ深刻化し、まつたく異常な事態が持続する場合には、私立学校における教育の円滑な実施を確保し、学生の正常な教育を受ける権利を守るために、本件調停法一〇条四項のような制度を設けることは十分承認されうると解すべきである。

以上は、主として学校法人自体の私立学校経営の自由ないしその管理運営の自主性と教育の公共性という観点から、本件調停法一〇条四項が憲法二二条一項に違反しないかどうかを検討したのであるが、さらに、特定個人が学校法人の理事等になる自由ないし理事等の地位を行政権によりみだりに奪われない自由との関連においても検討する必要がある。これらの自由が憲法二二条一項で保障する職業選択の自由に含まれることは明らかであるが、これらの自由も絶対無制限のものではなく、公共の福祉に反しないかぎりで認められるものであるところ、右に述べたように、学校法人における正常な管理運営を回復し、教育の公共性を実現するために慎重な要件と手続の下に被告に対し理事等の解職権を認めても、公共の福祉の観点からやむをえないものというべく、教育という高度の公共性を有する事業を経営する学校法人の理事等という特殊の職業を選択した者としては高度の公共性の面からくる右の自由に対する制限ないし干渉を承認するほかないというべきである。

したがつて、本件調停法一〇条四項は憲法二二条一項に違反するものではない。

原告は、行政権が私立大学の理事等の地位に干渉しうるのはその者が法律に違反したとかあるいは不正行為をしたとかいう場合に限られるべきである旨主張するが、右干渉が許されるものであるかどうかは、前記のとおり私立学校経営の自由(理事等の職業を選択する自由を含む。)ないし学校法人における管理運営の自主性の要請と教育の公共性の要請との兼合いによつて判断されるべきであり、原告主張のような要件を必ずしも必要とするものではない。

なお、本件調停法一〇条四項により被告に理事等の解職権が認められるのは、これにより学校法人の正常な管理運営を回復し、私立学校教育の円滑な実施に資するためであつて、すなわち、学校法人紛争により危機に陥つている学問の自由等の精神的自由を回復するためにほかならないから、これらの自由を侵害するものでないことはいうまでもない。

(二)  本件調停法は単一事件処理のためのものであつて、憲法に違反するか。

本件調停法が、学校法人名城大学の紛争をきつかけとし、この紛争の解決方法を模索する過程で生まれたものであることは前記本件調停法制定の経緯について述べたところからも明らかであり、それが二年間の限時法とされていることや成立に争いがない甲第四二号証の二によれば本件調停法案が衆議院の文教委員会において審議された際、当時の文部大臣が同法案を成立させて適用しようと考えているのは当面卒直にいつて名城大学の問題以外にはなかろうと思う旨答弁していることが認められることを合わせ考えれば、本件調停法は主として学校法人名城大学の紛争に適用することを意図して制定されたものということができよう。

しかしながら、その法文を見れば明らかなように、本件調停法は、必ずしも学校法人名城大学の紛争にのみ適用することを当然の前提としているものではなく、ひろく学校法人紛争に適用することができるような形で制定されているのであつて、この点において原告の主張は前提を欠き理由がないといわなければならない。

(三)  本件解職処分は法律の根拠を欠くか。

原告は、本件調停法一〇条四項は、学校法人の理事ないし評議員が紛争の解決を訴求し、すでに裁判所の判断が示されている場合には適用されないものと解すべきである旨主張するが、同条項の法文のうえからも、また、本件調停法の制定に関する資料である前掲二、(一)の各証拠を検討してみても、原告主張のように制限的に解すべき根拠は何ら存在しない。

したがつて、本件解職処分は本件調停法一〇条四項という法律の根拠にもとづいてなされたものである。

(四)  本件解職処分は憲法三二条および七六条二項後段に違反するか。

本件解職処分当時本件名古屋高裁事件が係属しており、本件地位保全判決や本件管理人引渡判決がなされていたことは当事者間に争いがない。

(1) 原告は、本件解職処分は本件名古屋高裁事件における原告の裁判を受ける権利を侵害する旨主張する。

原告が本件解職処分後に本件名古屋高裁事件の訴えを取り下げたことは当事者間に争いがないから、右事件はこれにより終了したものというべく、本件解職処分により右事件における原告の裁判を受ける権利が侵害された旨の原告の主張は失当である。

のみならず、何人も裁判所において裁判を受ける権利を奪われないことは憲法三二条の保障するところであるが、そこで保障されているのは本案の裁判を受ける権利にとどまり、本案において勝訴の裁判を受ける権利までも保障されているわけではないと解すべきである。本件解職処分は学校法人名城大学における原告の理事および評議員たる地位を将来に向つて失わしめるものであり、それには行政処分としてのいわゆる公定力があるため、本件名古屋高裁事件においては、少なくとも本件解職処分がなされた以後は同処分のなされたことが弁論に上程されるかぎり原告の理事および評議員たる地位を否定せざるをえず(もつとも、本件解職処分が無効と判断される場合にはこのかぎりでないことはいうまでもない。)、したがつて、原告の理事および評議員たる地位の確認を求める請求は棄却されざるをえないことになるが、これはとりもなおさず本案についての裁判にほかならず、原告の本案の裁判を受ける権利は本件解職処分により何ら影響を受けないのである。したがつて、本件名古屋高裁事件における原告の裁判を受ける権利が本来解職処分により侵害された旨の原告の主張は、この点からも失当である。

(2) 原告は、本件解職処分は行政機関である被告が学校法人名城大学における原告の理事たる地位の存否に関し終局的に判断を与えるものであり、憲法七六条二項後段に違反する旨主張する。

本件名古屋高裁事件における審判の対象(訴訟物)は学校法人名城大学における原告の理事の地位の存否であり、原告が理事の地位を取得したかどうか、取得したとしてその後喪失したかどうかが争点となるものであるところ、本件解職処分は、これらの争点について裁判所に代つて事実を認定し、法律判断をするものでは決してなく、原告が理事の地位にあることを一応前提としたうえで、学校法人名城大学における紛争(それには法律的紛争とともに非法律的紛争も多く含まれている。)の一切を考慮し、同大学における正常な管理運営を回復し、教育の公共性への侵害を除去するという観点からなされる行政措置なのである。もとより、この行政措置としての本件解職処分に対しては、これにより権利ないし法律上の利益を侵害されたと主張する者は抗告訴訟を提起し、司法的救済を求めることができることはいうまでもない(現に本訴がそれにあたる。)。

したがつて、本件解職処分が憲法七六条二項後段に違反する旨の原告の主張は失当である。

(3) ところで、本件名古屋高裁事件が係属しているということは、たとえその事件の原告がその事件についてなされる裁判によつてのみ紛争を解決することを希望し、これを提唱している場合においても、裁判以外の紛争解決方法(たとえば、和解、調停、右(2)に述べた行政措置による解決方法など)を排除するという法的効果を生ぜしめるものでないことは明らかである。ことに、学校法人名城大学における紛争のように法律的紛争のほかに非法律的紛争も多く含まれている場合には、右の理は一層明らかである。そして、この場合に裁判以外の紛争解決方法がとられても、これにより司法的解決方法(裁判)を抑止し、司法権を侵害したものであるとの非難があたらないことはいうまでもない。

また、本件地位保全判決がなされているということは、以後、何人も別個の事実関係や法令の根拠にもとづき理事の地位を新たに喪失せしめるような行為をしてはならないとの法的効果を生ぜしめるものではないのである。このことは、右仮処分判決の性質を暫定的・確認的なものと考えるかそれとも形成的なものと考えるかによつて異なるものではない。

さらに、本件解職処分は原告の学校法人名城大学における理事および評議員たる地位を解職するものであり、日比野信一に対し裁判所の選任した管理人に入学金や授業料等の金員の引渡し等を命ずる本件管理人引渡判決とは直接には何らの関係をももたないものである。

してみれば、本件解職処分が本件地位保全判決や本件管理人引渡判決をふみにじり、司法権を侵害するものである旨の原告の主張は失当である。

(五)  本件解職処分は憲法三一条に違反するか。

一般に行政手続にも憲法三一条が適用されるかどうかはともかく、営業の自由ないし職業選択の自由に対する制限ないし干渉が問題となる場合には少なくとも同条の精神に反することは許されないと解するのが相当である。ところで、本件調停法によれば、前記のとおり、調停委員による調停・解職または辞職の勧告・解職処分という手続を段階的に踏むことになつており、解職または辞職の勧告をするにあたつては当該勧告にかかる者に対し弁明の機会を与えるとともに審議会の意見をきかなければならないことになつている。すなわち、本件解職処分がなされるにあたつては慎重な手続を踏むことが要請されるとともに、調停委員による調停および解職または辞職の勧告にあたつての弁明の機会において原告の言い分は十分に聴取されることになつているのであるから、憲法三一条の精神に反することはないといわなければならない。

原告は、本件調停法制定当時すでに学校法人における正当な理事は誰であるかという紛争につき民事訴訟が提起されていた場合にも同法一〇条四項の適用が許されるとすれば、それは民事紛争の解決については裁判権が至上であると考えて民事訴訟を提起した国民に対し同条項を遡及的に適用することにほかならず、憲法三一条の精神に違反する旨主張する。しかしながら、民事訴訟が係属しているということはそれ以外の紛争解決方法を排除するという法的効果をもつものでないことは前述のとおりであるから、本件調停法制定当時同法に定める学校法人紛争が現に存在する以上これに同法を適用しても遡及適用かどうかの問題は生じないと解すべきである。

(六)  本件解職処分は憲法二九条に違反するか。

原告は、本件解職処分は原告の学校法人名城大学における理事ないし理事長としての月額一〇万円の報酬請求権を公共の福祉のために奪うものであるから、正当な補償をしない以上、憲法二九条に違反する旨主張する。

しかしながら、学校法人の理事ないし理事長は、学校法人より委任ないし委任類似の契約によりその業務の管理運営を委ねられている役員であつて、法律上当然に報酬請求権を有するものではないのである。原告の場合仮にその主張のように月額一〇万円の報酬請求権を有していたとしても、それは原告が理事ないし理事長の地位にあることを前提とし、かつ、原告と学校法人名城大学との特約にもとづき認められるところの、理事ないし理事長たる地位より派生的・付随的に生じたものというべきである。したがつて、本件解職処分により原告の理事ないし理事長たる地位が将来に向つて失われる結果、原告主張の報酬請求権も以後発生しなくなるのであるが、それは本件解職処分の派生的・付随的効果にすぎないというべきである。すなわち、原告の理事ないし理事長たる地位は憲法二九条にいう財産権ないし私有財産にはあたらないと解するのが相当である。さらに、また、本件解職処分は公共の福祉のためになされるものではあるが、学校法人の理事ないし理事長たる地位はそもそも公共的使命を有すべきものであるところ、これが果たせなくなつている場合に、これを回復するためになされるものであつて、それは私有財産を公共のために用いる場合にはあたらないと解するのが相当である。

これを要するに、本件解職処分が憲法二九条に違反する旨の原告の主張は失当である。

(七)  本件解職処分の手続は違法であるか。

原告は、本件解職処分に先立つて行なわれた調停委員による調停および辞職の勧告(の際の私立大学審議会の意見)はいずれも違法であるから、本件解職処分は無効である旨主張する。

調停委員による調停および辞職の勧告と本件解職処分とは一応別個独立の行為として前者の違法は後者には影響を及ぼさないと一応みることもできるが、本件解職処分は営業の自由ないし職業選択の自由に対する公共の福祉の観点からの制限ないし干渉たる性質を有し、それが慎重な手続を経て行なわれることも本件解職処分が憲法二二条一項や三一条に違反するものではないとする理由の一つであることは前述のとおりであるから、調停委員による調停や辞職の勧告という手続を踏んでおくことが本件解職処分をするための必要不可欠の前提をなすといわなければならない。したがつて、調停委員による調停や辞職の勧告という手続を踏まなかつた場合はもとより、これを形式的には踏んでも実質的には踏まなかつた場合と同視しうる場合、すなわち調停委員による調停や辞職の勧告が無効と解されるような場合には、本件解職処分も無効となるものと解するのが相当である。そこで、本件解職処分に先立つて行なわれた調停委員による調停および辞職の勧告が無効と解されるかどうかについて判断する。

(1) 調停は無効か。

原告は、まず、被告が学校法人名城大学紛争の調停のために任命した調停委員はいずれも右紛争に利害関係を有するものであつて、公正な第三者とはいえない旨主張する。調停委員は事件ごとに審議会の委員その他の者で学識経験を有するもののうちから所轄庁により任命されるのであるが(本件調停法四条一項)、具体的に誰を調停委員に任命するかはその事柄の性質上所轄庁の広範な裁量に委ねられているものと解するのが相当である。したがつて、仮に公正な第三者と思えない者を調停委員に任命したとしても、そのために調停手続全部が無効となるものではない。

のみならず、被告が学校法人名城大学の紛争の調停委員として大浜信泉、河野勝斉、桑原幹根および鈴木亨市の四名を任命したことは当事者間に争いがないところ、証人平間修の証言および同証言により成立が認められる乙第三三号証の一ならびに証人杉江清および同大浜信泉の各証言によれば、大浜信泉は、早稲田大学総長で私立大学審議会の委員であり、もと私立大学連盟の会長も六、七年間務めたことがあること、河野勝斉は、日本医科大学理事長で私立大学協会の会長もし、学校法人名城大学の第一次紛争中名古屋地方裁判所により調停委員に任命されて調停にあたり、それが不調に終つた後も個人的な努力によつて右第一次紛争を和解に導いたものであり(これらのことは前記認定のとおりである。)、私立大学審議会の委員をしていたこと、桑原幹根は、愛知県知事であり、鈴木亨市は、東海銀行頭取で名古屋商工会議所会頭をしていたことが認められるが、右四名の者が学校法人名城大学の紛争に利害関係を有し、公正な第三者とはみられないことを認めるに足りる証拠はない。むしろ、右認定の事実によれば、大浜信泉と河野勝斉は私学界の代表として、桑原幹根は地元政界の、鈴木亨市は地元財界の各代表として、しかも河野勝斉は学校法人名城大学紛争の事情にも通じている者として選ばれているのであつて、その任命は正に当をえたものとさえいうべきである。

次に、原告は、調停委員会の運営は違法である旨主張するが、調停委員会の運営をどのようなものにするかについては本件調停法およびその施行令に若干の規定がある(たとえば、本件調停法五条では調停委員は期日を定めて当事者に対し出頭を求めてその意見をきき、または資料の提出を求めることができる旨を、施行令四条では調停委員は委員長を互選し、委員長は調停委員を代表する旨を、同五条では調停は調停委員の合議によつて行なう旨などを規定している。)ほか、特別の法令の規定がないので、事柄の性質上調停委員の広範な裁量に委ねられているものと解するのが相当である。したがつて、調停委員会の運営上の問題は原則として調停手続を無効ならしめるものではないと解すべきである。

のみならず、証人平間修の証言および同証言により成立が認められる乙第三三号証の一、二ならびに証人杉江清および同大浜信泉の各証言によれば、本件調停法にもとづく調停委員の庶務に関する事項は文部省組織令により文部省管理局振興課の所掌事務とされていたため、同局長や同課長その他同課の職員が調停委員会の庶務を担当したが、調停手続そのものは大浜信泉委員長はじめ調停委員が主体的にこれを進めたこと、調停委員が調停のため直接原告と面接したのは昭和三七年九月七日、同年一二月七日、昭和三八年三月一日、同月九日、同月一四日、同月二三日、同年六月六日、同月七日の八回に及んでいることが認められ、この認定に反する証拠はないので、調停委員会の運営が違法である旨の原告の非難はあたらない。

次に、原告は、調停の内容が違法である旨主張するが、原告との間には調停が成立しなかつたのであるから、原告の右主張は調停委員が受諾を勧告した調停案の内容が違法である旨の主張であると解したうえで考えるに、調停はもともと調停委員の斡旋によつて当事者間に合意が成立しあるいは調停委員の示した調停案を当事者が受諾することによつて紛争を解決することを目的として行なわれる一連の手続であるから、調停委員の示した調停案の内容が仮に違法であつたとしても、調停手続全部が無効となるものではないと解するのが相当である。のみならず、民事裁判と本件調停法にもとづく調停とはそれぞれ独自の存在意義をもつた紛争解決のための法的制度であるところ、本件地位保全判決や本件管理人引渡判決がなされているということは他の紛争解決制度による紛争の解決を排除するものではないと解するのが相当であるから、仮に調停委員の示した調停案の内容が本件管理人引渡判決と牴触するとしても、そのことのゆえに違法となるものではないというべきである。また、原告は、調停委員の示した調停案の内容はいわゆる三者審議会による経営の違法な管理を是認する結果になる旨主張するが、前記本件調停法の制定に関して述べたとおり(二、(一))、そもそも本件調停法はいわゆる三者審議会による経営の違法な管理をも含めて学校法人名城大学における紛争を早急に解決し、正常な管理運営を回復するために制定されたものであり、本件解職処分に先立つて行なわれた調停も右のような目的のためのものであることは証人杉江清、同平間修および同大浜信泉の各証言によつて認めうるところであるから、原告の右主張は失当である。さらに、原告は、調停委員の示した調停案の内容は佐々部晩穂一派による国有土地の払下げ・転売の不正行為を隠ぺいするものである旨主張するが、右不正行為と右調停案との間に関連性を認めることができないことは後記認定のところから明らかであるから、原告の右主張も失当である。

(2) 辞職の勧告は無効か。

原告は、被告は辞職の勧告をするにあたり私立大学審議会の意見を聞いたが、同審議会の委員は被告の意のままになる者ばかりで、公平な第三者とはいえない旨主張する。しかしながら、私立大学審議会の委員は私立学校法一九条二項により「私立大学の学長若しくは教員又は私立学校を設置する学校法人の理事」および「学識経験のある者」のうちから被告により任命されることになつており、その任命にあたつては学識経験者をどの程度任命できるかといつた定数について(同条三、四項)と委員候補者の推選について(同法二〇条)法の制約があるほかは、具体的に誰を委員に任命するかは事柄の性質上被告の広範な裁量に委ねられているものと解するのが相当である。したがつて、右任命の適否は私立大学審議会の答申を無効とするものではないと解すべきである。

次に、原告は、私立大学審議会の審議は密行され、原告に対し弁明の機会が与えられず、被告提出の資料のみにもとづいて行なわれたので違法である旨主張する。しかしながら、私立大学審議会の審議へ原告のような紛争の当事者を出席させ、弁明の機会を与えるべきである旨を定めた規定はないから、右のような機会を与えなかつたとしても違法となるものではなく(本件調停法一〇条三項によれば、辞職の勧告をするにあたつては所轄庁により当該勧告にかかる者に対し弁明の機会が与えられることになつている。)、また、私立大学審議会の審議が被告提出の資料のみにもとづいて行なわれたとしても、これを違法とする旨の規定は何ら存在しない。

次に、原告は、私立大学審議会への諮問にあたり被告のした紛争の事案の説明が不十分であり違法である旨主張する。しかしながら、私立大学審議会への諮問にあたりいかなる事情をいかなる程度に説明するかということは諮問を求める被告の広範な裁量に委ねられていると解するのが相当であるから、原告の右主張は失当である。

(八)  本件解職処分は本件調停法一〇条四項の要件をみたすか。

原告は、本件解職処分は本件調停法一〇条四項にいう「当該学校法人の正常な管理及び運営を図るため他に方法がないと認めるとき」にあたらないのになされたものであるから無効である旨主張する。そこで、本件解職処分以外にも学校法人名城大学の紛争を解決し、教育の公共的使命を果たすべき方法があつたかどうかについて検討する。

(1) 前記一において述べたように、昭和三四年七月に学校法人名城大学に第二次紛争が発生し、次第にそれは深刻化し、かつ、長期化するに至つた。理事や評議員たちは離合集散をくり返し、二派、三派に分裂して互に自派の正当性を主張し、対立派の人々の地位を否認して抗争し、そのため誰が正当な理事、評議員であるか容易に確定しがたい状態が継続し、理事会や評議員会といつた学校法人名城大学における管理運営機関はまつたくその機能を喪失してしまつた。そして、学校法人名城大学における大学部の財政面はいわゆる三者審議会が、教学面は協議会がそれぞれ事実上管理するという違法状態が続いた。原告は、紛争の当初より田中寿一を支持し、同人と行動を共にしてきたが、昭和三五年五月ごろに至り同人と意見の対立をきたし、同月一一日同人より理事長、理事の地位を一方的に解任されるや、本件地位保全判決をえて理事の地位を保全した。同判決においては、田中寿一の理事長としての職務執行を停止し、もと名古屋弁護士会会長をしたこともある浦部全徳がその職務代行者に選任されたが、紛争は一向に解決するに至らなかつた。同年一一月一一日田中寿一が死亡した後は、原告を中心とする派、日比野信一を中心とする派、田中卓郎を中心とする派の三派に分裂して抗争を続け、相互に理事長、理事、学長等の地位の存在または不存在確認請求等の民事訴訟を提起し、これらの訴訟を本案とする仮処分を申請し、その数は数十に及んだ。また、相互に刑事告訴も行なわれた。紛争が深刻化し、かつ、長期化するにしたがい、各方面より被告に対し私立大学の公共性の見地から紛争の解決に積極的に乗り出すよう強い要望がなされるに至つた。そこで、被告は、昭和三五年一月河野勝斉、古田重二良および友岡久雄の三名に紛争当事者間の調停を依頼し、同人らが調停に努めたがこれも成功しなかつた。そして、前記二、(一)に述べたような事情により本件調停法が制定されるに至つた。

(2) 成立に争いがない甲第三号証、同第一一号証、同第一二号証、同第一四号証、同第一七号証の一、二、同第五〇号証、同第五一号証、乙第一号証、同第一八ないし第二〇号証、同第二六ないし第三一号証、その方式および趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるので真正な公文書と推定すべき乙第三二および第三四号証、証人平間修の証言により成立が認められる乙第二三および第二四号証、同第二五および第三三号証の各一、二、証人村井藤十郎の証言により成立が認められる丙第五号証、証人杉江清、同平間修、同村井藤十郎、同大浜信泉および同小島末吉の各証言ならびに原告本人尋問の結果(第一、二回)を総合すれば、本件調停法にもとづく調停および辞職の勧告の経緯は次のとおりであつたことが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。

本件調停法が制定された後、日比野信一より同法三条にもとづく調停開始の申出がなされたりしたが、被告は学校法人名城大学の紛争について職権をもつて調停を開始することにし、私立大学審議会の意見を聞いたうえ昭和三七年七月一〇日調停委員として前記認定のとおり大浜信泉、河野勝斉、桑原幹根および鈴木享市の四名を任命するとともに、調停にかかる当事者として足立聡、安藤孝、原告、加藤敏正、加藤繁雄、兼松豊次郎、栗田三喜男、小島末吉、近藤良男、在国寺英基、田中卓郎、田中建児、伴林、日比野信一、守田広海、横井忠次、若松寿男の一七名を指定した。同月二六日第一回調停委員会が開かれ、大浜信泉を委員長に互選し、文部省当局より紛争の経過および現状の説明を受けた。以後昭和三八年六月二一日までの間、調停委員会は回を重ねてあるいは東京においてあるいは名古屋において直接当事者に面接して意見を聴取し、当事者提出の文書により事情を把握し、当事者間に種々斡旋を試みた(なお、河野勝斉は昭和三七年九月一六日に死亡したので、その後の調停活動は残りの三調停委員によつて行なわれた。)。しかしながら、当事者は三派に対立したまま、ついに合意の成立に至らなかつた。ことに原告は調停開始直後の昭和三七年七月二六日に文部大臣を被告として東京地方裁判所に本件調停法は憲法違反の法律であることを理由に調停委員任命の無効確認を求める訴えを提起し(のちに、原告を紛争当事者としてした調停手続開始決定の無効確認を求める訴えに変更した。)、調停に対し非協力的な態度を示した(東京地方裁判所は昭和三八年一一月一二日に原告の請求を棄却する旨の判決を言い渡した。)。

三派の主張の要点は次のとおりであつた。

(ア) 日比野信一派

紛争の原因は田中寿一を中心とする理事の大学経営のあり方を理解しない運営にあり、原告派はこれに同調し、助長してきたもので、役員、評議員として不適当である。また、原告派は正規の手続を経ることなく財産を不当に処分するなど違法行為を重ねており、その行動を信頼することができない。さらに、原告派の理事はその地位の正当性に疑問がある。大学再建のためには、現在の役員、評議員は全員辞任し、一新される必要がある。いわゆる三者審議会による管理は正当にして有能な理事会が成立すれば移管する。

(イ) 原告派

紛争の本質は日比野信一を中心とする教授団による経営権の乗取りであり、いわゆる三者審議会が学校を管理し、原告派の役員、評議員は学校経営より違法に排除されている。この三者審議会による経営管理を解消し、法人の運営を理事会に回復し、教職員側の背任を追及する必要がある。ことに、本件管理人引渡判決において三者審議会の保管する授業料等の金員は裁判所の選任する管理人に引き渡すことが命じられているにもかかわらず、これが履行されないのは法秩序を無視するものである。右判決が履行されることが先決である。

(ウ) 田中卓郎派

紛争の本質は一部教授団の経営権の乗取りであり、その責任を追及する必要がある。しかし、役員、評議員は大学の公共性を無視した経営を行ない、名城大学の運営を混乱に陥入れた責任があり、全員辞任すべきである。

三派の主張の要点は右のとおりであり、それぞれ自説を固執して譲ろうとしなかつた。この間、昭和三八年一月一七日以降、近藤倫二名古屋高裁長官の依頼を受けて松坂佐一名古屋大学総長が紛争当事者間の斡旋に乗り出し、各派間の斡旋に努めたが、結局、これも成功するに至らず、ついに同総長は同年三月一五日斡旋を打ち切つた。

調停委員は、学校法人名城大学における紛争の経過および調停の経過を総合的に考察した結果、右紛争を解決し、破綻に瀕している同大学を再建するためには管理機関の地位を争いのない状態にすることが先決であり、そのためには従来役員または評議員と称している者その他紛争について重要な役割を演じたと認められる者にその地位から去つてもらい、私立学校法にもとづき所轄庁が職権により仮理事を選任し、これに事後処理および再建の方策の一切を委ねる以外に適当な解決策はないとの結論に達した。そこで、調停委員は、同年六月二二日別紙調停案記載の内容の調停案を作成し、これを全当事者(同月一五日に近藤鉦太郎、町田孝一郎および大石政雄の三名が新たに当事者に加えられ、当事者は二〇名になつていた。)に示し、同月三〇日までに受諾するよう勧告した。これに対し、原告、守田広海および栗田三喜男の三名は右調停案を受諾しなかつたが、その余の一七名はこれを受諾した(ただし、調停案にかかる調停条項第一項にもとづき役員や評議員等を辞任することについては、紛争当事者の全員が同時に辞任することを条件に辞任することを承諾した。)。調停委員は本件調停法八条五項にもとづき同年七月一三日再び原告ほか二名の非受諾者に対し調停案を受諾するよう勧告したが、右三名はついに応じなかつた。その後、同条四項に定める手続がなされ、右一七名の受諾者の間に同年七月二〇日調停が成立するに至るとともに、原告ほか二名の非受諾者については調停が終了した。

被告は、学校法人名城大学における紛争の経過および調停の経過にかんがみ、調停委員と同様学校法人名城大学の正常な管理運営を回復するためには従来の役員や評議員等が一新される以外に方法はないとの結論に達した。ところで、前記のとおり、調停が成立した一七名の者は紛争の当事者が全員同時に辞任することを条件に辞任することを承諾していたので、原告ほか二名の非受諾者が辞任しない以上右一七名の者の辞任もありえず、いぜんとして従来の役員や評議員等の地位にとどまつているので、事態は何ら解決されないことにある。そこで、被告は、原告ほか二名も辞任するか、辞任しなければ解職するより以外には学校法人名城大学の正常な管理運営を回復する方法はないとの結論に達し、同年七月三一日本件調停法一〇条三項にもとづき原告ほか二名に対し弁明の機会を与えるとともに、私立大学審議会の意見を聞いたうえ、同条二項にもとづき同年八月一〇日原告および守田広海に対し理事、評議員の地位を、栗田三喜男に対し評議員の地位をそれぞれ同月一七日までに辞職するよう勧告したが、いずれも無視された。そこで、被告は同月二二日本件解職処分をするとともに、守田広海に対し理事および評議員の地位を、栗田三喜男に対し評議員の地位をそれぞれ解職する旨の処分をした。

(3) 本件調停法が制定された日の二日後に本件管理人引渡判決がなされたことは前記認定のとおりである。原告は、右判決に従うという方法によつて学校法人名城大学の紛争を解決する方法があつた旨主張する。しかしながら、右判決は、仮処分としての暫定的性質を免れず、また、いわゆる任意の履行に期待する仮処分の一種として執行力を有せず、さらに、前記認定のとおり右判決に対しては日比野信一より控訴がなされていて確定していなかつた。そして、被告としては日比野信一に対し右判決に従うよう説得することはできても、それ以上に強制力により右判決に従つた状態を実現させる手段を有してはいなかつた。のみならず、右判決は裁判所の選任する管理人が学校法人名城大学の金員を保管すべきことを定めたにすぎず、右管理人が右大学の管理運営全般を行なうべき旨を定めたものではないから、これにより正常な管理運営機関が構成されるものではなく、したがつて、従来の役員や評議員の対立はいぜんとして続くことになるのである。すなわち、紛争の根本的な解決は右判決に従つた状態を実現することによつてはなしえず、やはり、その地位について争いがなく、しかも多数の支持がえられる正常な管理運営機関を構成することによつてはじめてなしうるものというべきである。

(4) 原告が本件地位保全判決により学校法人名城大学の理事たる地位を保全されていたことは前記認定のとおりである。原告は、右判決に従うという方法によつて紛争を解決するという方法があつた旨主張する。右主張が具体的にいかなる内容を意味するか必ずしも明らかではないが、右判決により理事の地位を保全されていた原告に対しては本件解職処分をすることなくその理事たる地位を残すという方法で紛争を解決する方法があつた旨の主張であるとすれば、前記認定のとおり、紛争当事者が全員同時に辞任しない以上調停成立にかかる一七名の者も結局辞任しないこととなり、紛争は一向に解決しないこととなる。

(5) 原告が名古屋簡易裁判所へ民事調停の申立てをしたことは当事者間に争いがなく、成立に争いがない乙第二二号証によれば、右調停は原告ほか五名が申立人となり日比野信一ほか二名を相手方として昭和三七年一一月二八日に申し立てたものであることおよびその第一回調停期日が同年一二月一二日に指定されたことが認められるが、弁論の全趣旨によればその後の調停活動は行なわれなかつたことが認められる。したがつて、右調停によつて紛争を解決することは困難であつたといわざるをえず、しかも、右調停は紛争当事者のうちの限られた者の間における調停であるから、紛争全体の根本的解決を右調停に期待することは無理であるというべきである。

(6) 以上(1)ないし(5)に述べたところにもとづいて考えるに、深刻化し長期化した学校法人名城大学の紛争を全体的、根本的に解決するためには、まず何よりもその地位について争いがなく、しかも、多数の信頼をえられる正常な管理運営機関を構成することが必要であり、そのためには紛争の経過および調停の経過に照らし従来の役員や評議員等とされている者はすべてその地位を退き、これを一新する必要があり、そのためには原告を解職する以外に方法がなかつたものといわなければならない。したがつて、本件解職処分は本件調停法一〇条四項にいう「当該学校法人の正常な管理及び運営を図るため他に方法がないと認めるとき」にあたらないのになされた旨の原告の主張は失当である。

(7) 原告は、灘尾弘吉は文部大臣に就任後わずか三週間たらずで本件解職処分をしたものであり、本件調停法一〇条四項に定める解職の要件である他に方法がないかどうかについて十分に時間をかけて慎重に判断するということをせず、もつぱら下僚の意見を鵜呑みにしたものであつて、その判断の仕方は恣意的である旨主張する。しかしながら、判断に用いた期間が短いからといつて(もつとも、被告の主張によれば、灘尾弘吉が文部大臣に就任したのは昭和三八年七月一八日であるというのであるから、本件解職処分までに三六日間あつたことになる。)、必ずしもその判断が恣意的であるということはいえないのみならず、本件においては右(6)において述べたように本件解職処分をする以外には紛争の全体的、根本的解決はできない状態にあつたのであるから、被告(文部大臣灘尾弘吉)の判断は正しかつたといわなければならない。

また、原告は、本件解職処分の通知書には何故解職以外に方法がないと判断したかの理由が示されておらず、ことに原告自身の非行が示されていないので、被告の判断は恣意的である旨主張する。しかしながら、解職処分の通知書に理由を付すべきことは法令上要求されているものではなく、理由の付記が簡単だからといつて(成立に争いがない甲第一八号証によれば、本件解職処分の通知書には「貴殿を解職する以外には学校法人名城大学の紛争を解決し、同法人の正常な管理および運営を図るため他に方法がないと認めるからである」旨の理由が付記されていることが認められる。)、その判断が恣意的であるとはいえず、また、そもそも原告に非行があることは本件解職処分の要件ではないのであるから、本件解職処分の通知書に原告の非行が示されていないのはむしろ当然であるといわなければならない。原告の前記主張は失当である。

(九)  本件解職処分は公序良俗に違反するか。

一般に、行政処分に公序良俗の法理が適用ないし類推適用されるかどうかについては議論のあるところである。民法九〇条は公序良俗に反する事項を目的とする法律行為は無効である旨を規定するものであり、それは法律行為、すなわち私人の自由な意思によつて形成される法律行為について個人意思の自治を制約するものであるから、その形成実現につき行政庁の意思の優越性が認められているところの行政処分に関しては同条自体の適用ないし類推適用はないと解するのが相当である。しかしながら、同条の背後にはすべての法律関係は公序良俗に反してはならないとの理念がひそんでいると解するのが一般であるところ、この理念は単に私法にとどまらず、法律秩序全般に通ずる法の一般理念と解することができるので、それは行政処分にも妥当すると解するのが相当である。

したがつて、たとえば、ある行政処分が法律の定める手続に従い、法律の定める要件のもとに行なわれた場合でも、当該行政庁の意図する真の目的が人倫に反しあるいは社会的正義に反すると認められる場合には、その行政処分は公序良俗に反し違法性を帯びるものと解するのが相当である。もつとも、この場合その行政処分が無効となるかどうかは、行政処分の瑕疵についての無効と取消しの区別に関する一般理論に従い、公序良俗に反することが重大かつ明白な瑕疵といえるかどうかによつて決すべきである(そして、一般に公序良俗に反することは重大な瑕疵にあたるとみることができるので、それが明白であるといえるかどうかによつて無効かどうかが決まるということになる。)。

これを本件に則していえば、原告主張のように、被告は佐々部派と結託し、佐々部派による鷹来工廠跡地の払下げ・転売による不正利得(これをえるために学校法人名城大学に紛争をまきおこした。)および三者審議会の教授団による経営の違法管理にもとづく不正利得を隠ぺいするとともに佐々部派による学校法人名城大学の経営権の収奪を実現することを真の目的として、その障害となる原告に対し本件解職処分をしたという事実が仮に認められるとするならば、本件解職処分は、それが本件調停法に定める手続と要件に従つて行なわれたものであるとしても、公序良俗に反し違法性を帯びるものと解すべきである。

そこで、原告の右主張事実の有無について考えるに、原告はその本人尋問(第一、二回)の際右主張に副う供述をし、また、成立に争いがない甲第五六号証によれば、昭和四〇年二月一六日に開かれた衆議院の大蔵委員会において武藤山治議員が「承知をしておつたとなつたらまことにもつてこれはけしからぬ処分のしかたです。なぜならば名城大学の理事を追い出すためにだれがその理事にかわりに入つたかというと東洋プライウツドの社長の阿部広三郎という人が学校の仮理事に飛び込んでさらにそれと提携をしている親分子分のような深い関係にある人、すなわち名古屋前商工会議所会頭佐々部晩穂というのですが、この経済界に顔のきく人も理事に入れたわけです。そして払下問題をめぐつてこの二人の実力者に反対する者の首をちよん切ろうというので、ちよん切るために政治家を動かし財界を動かして私学紛争に関する特別法まで国会でつくらせて、公共のために国の土地を使いたいという人たちを追つ払い東洋プライウツドにこれが売り払われた。まことにもつて奇々怪々な事件ですよ。そういうことを知つておつて東洋プライウツドに払い下げしたとなつたら、まことにもつて財務局の処置は手抜かり――手抜かりでは済まされない、その裏に何かがある、この事件は汚職のにおいがぷんぷんとしている、そうあなたはお考えになりませんか。」と大蔵省国有財産局長に対して質問していることが認められる。さらに、旧鷹来工廠跡地のうち学校法人名城大学が借用していた南北両端の約八万坪を除く中央部約一三万坪が昭和三八年一月九日および同年四月二七日の二度に分けて佐々部晩穂が代表取締役をしていた東洋プライウツド株式会社へ払い下げられたこと、本件解職処分後に被告は七名の仮理事を選任したが、その中に佐々部晩穂のほか右旧鷹来工廠跡地の東洋プライウツド株式会社への払下げを答申したころの国有財産東海地方審議会の委員をしていた大島一郎および桑原幹根が含まれていたことは当事者間に争いがない(原告は、さらに、仮理事に選任された渡辺捨雄は東洋プライウツド株式会社のもと嘱託をしていたことがあり、杉戸清は国有財産東海地方審議会の委員をしていた旨主張する。右両名が仮理事に選任されたことは当事者間に争いがないが、郵便官署作成部分の成立については当事者間に争いがなく、その余の部分については原告本人尋問の結果((第一回))により成立が認められる甲第五七号証の一、二によれば、原告および守田広海あての各書簡中に渡辺捨雄がかつて東洋プライウツド株式会社の相談役をしていたことがある旨の記載があることが認められるけれども、右書簡には署名がなされておらず、右書簡のみでは渡辺捨雄がもと東洋プライウツド株式会社の嘱託をしていたことを認めるに十分でなく、他にこれを認めるに足りる証拠はない。また、原告本人尋問の結果((第一回))により成立が認められる甲第二七号証によれば、杉戸清が国有財産東海地方審議会委員名簿に記載されていることが認められるが、同号証によればそれは昭和三八年九月三〇日現在の委員名簿であることが認められるので、杉戸清が鷹来工廠跡地約一三万坪の東洋プライウツド株式会社への払下げを答申した当時((成立に争いがない甲第三五号証によれば、それは昭和三五年八月一日であることが認められる。))の国有財産東海地方審議会の委員であつたことを認めるに十分でなく、他にこれを認めるに足りる証拠はない。)。

しかしながら、原告本人も武藤山治衆議院議員も被告が佐々部派と結託している事実を具体的に明らかにしていないのみならず、証人杉戸清および同平間修の各証言によれば、学校法人名城大学の紛争が始つてから本件解職処分がなされるまでの間に文部大臣も管理局長も数回交代があつたことが認められるところ、そのうちの誰とあるいはすべてと佐々部派がどのように結託したかについて原告は何ら主張しない。これを要するに、学校法人名城大学の紛争の真相が、仮に原告主張のように、佐々部派による鷹来工廠跡地の払下げ・転売による不正利得および三者審議会による経営の違法管理による不正利得を隠ぺいするとともに佐々部派による学校法人名城大学の経営権の収奪にあつたとしても、前記原告本人尋問の結果(第一、二回)および甲第五六号証によつては被告と佐々部派とが結託していた事実を認めるに十分でなく、また、被告より学校法人名城大学の仮理事として選任された七名のうち三名が鷹来工廠跡地の払下問題に関係をしていたという事実を合わせ考えても被告と佐々部派が結託していた事実を認めるに十分ではないといわなければならない。その他右結託の事実を認めるに足りる証拠はない。

してみれば、本件解職処分が公序良俗に反する旨の原告の主張はその余の点を判断するまでもなく失当ということになる。

四  結論

以上のとおり、原告の主張する本件解職処分の無効事由はいずれも認めることができないので、本件解職処分の無効確認を求める原告の請求は理由がないことになる。

第二本件解職処分の取消請求について

一  本訴の適否

本件解職処分が昭和三八年八月二二日になされたものであることは前記認定(第一、三)のとおりであり、本件解職処分無効確認の訴えが同年九月三日に提起されたものであることは本件記録上明らかである。したがつて、本件解職処分無効確認の訴えは同処分取消訴訟の出訴期間内に提起されたものであることが明らかである。ところで、行政処分取消訴訟の出訴期間内に提起された行政処分無効確認請求にはその取消請求を含むものと解すべきであるから(最高三小昭和三三年九月九日判決、民集一二巻一三号一九四九頁参照)、本件解職処分無効確認請求にはその取消請求も含まれているものと解すべきである。この考えに立てば、本件解職処分無効確認の訴えを同処分取消訴訟の出訴期間内に提起した原告が新たに同処分取消請求を追加的に併合することは無意味であり、同処分の違法性の有無については同処分無効確認請求に含まれているところの同処分取消請求において判断すべきであり、予備的な同処分取消しの訴えは不適法として却下すべきであるようにも思われる。しかしながら、原告がまず行政処分の無効確認を求め、それが認められない場合に予備的にその取消しを求めたいという意思を有している場合には、この意思を不合理なものとして無視してしまうのは相当でなく、法律上も考慮に値するものとしてこれを尊重するのが相当である。本件記録によれば、原告は当初本件解職処分無効確認の訴えを提起していたが、昭和四七年八月二九日の第四二回口頭弁論期日において陳述した第三〇準備書面において本件解職処分取消請求を予備的に求める旨の請求の趣旨の変更の申立てをしていることが明らかであるから、右変更の申立てがなされた時点において、当初本件解職処分無効確認請求に含まれていた同処分取消請求(選択的併合の形で含まれていたと解するのが相当である。)がその併合の態様につき予備的併合の形に変更されたものと解するのが相当であり(もとより、この場合には出訴期間の遵守に問題はないと解すべきである。)、以後本件解職処分の取消事由の存否はもつぱら予備的に併合された同処分取消請求の中において判断するのが相当である。

二  本件解職処分の違法性の有無

原告が本件解職処分の違法事由として主張するところのものがいずれも違法でないことは前記(第一、三)のとおりである。そして、前記第一、三、(七)および(八)において述べたところによれば、本件解職処分は、本件調停法に定める手続に従い、同法一〇条四項の定める要件のもとに行なわれたものであることが認められるので、違法性はないと解すべきである。

してみれば、本件解職処分の取消しを求める原告の予備的請求も理由がないことになる。

第三理事の仮の地位の確認請求について

原告は、本件地位保全判決により学校法人名城大学の理事の地位を保全されていたとして、被告に対し右理事の仮の地位にあることの確認を求めている。しかしながら、右理事の仮の地位は原告と学校法人名城大学との間の私法上の法律関係であるところ、私法上の法律関係の確認を求める訴えについては国の行政機関である被告には当事者能力がないというべきである。したがつて、その余の点を判断するまでもなく、右理事の仮の地位にあることの確認を求める訴えは不適法といわなければならない。

第四むすび

以上のとおりであるから、本件解職処分の無効確認請求および(予備的な)その取消請求をいずれも棄却し、学校法人名城大学の理事の仮の地位にあることの確認の訴えを却下し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 高津環 牧山市治 上田豊三)

(別紙)

調停案

学校法人名城大学においては昭和二九年以来当該学校法人の管理および運営をめぐつて紛争を繰り込し、これに関連していまなお係属中の訴訟または告訴も数十に及んでいる。その結果、三者審議会と称する変則的な組織が結成され、学校の運営は、事実上これらの組織により運営される事態にまで進展してしまつた。

紛争の当事者についてみれば、各人の立場からそれぞれ言い分はあるであろう。しかし、果てしなく紛争を続けることは事態をますます紛糾させるだけで一向に解決の見込みがたたないばかりでなく、学校がいつまでも変則的な組織により運営されることは公益上許されるものではない。また、関係当事者の本意は、ただ争うことそれ自体にあるのではなく、むしろ一日も早く混乱から脱却し、名城大学をそのあるべき本来の姿に建直して将来の発展を期するにあるものとみるべきである。これが共通の目標であるかぎり、関係当事者さえ大乗的な見地に立つて事に臨めば打開策が見出せない理由はないはずである。

ところで、名城大学を再建するにはまず法人の各機関を争う余地のない姿に建直すことが先決条件であるが、それには役員または評議員とされている者その他紛争について重要な役割を演じたと認められる人びとにその地位から去つてもらつたうえで、法律の定めるところに従い所轄庁が職権をもつて仮理事を選任し、これに事後処理および再建の方策の一切を委ねる以外に適当な解決策はないものと考えられる。

調停委員はこの見地に立つて、左記の調停条項を提示する。

調停条項

一 学校法人名城大学の役員および評議員ならびに名城大学学長とされている者は、すべて辞任することとし、辞表を調停成立後調停委員が指定する日までに調停委員に寄託すること。

二 学校法人名城大学の役員および評議員ならびに名城大学学長の辞任後の役員、評議員および学長は、次の方法によつて選任すること。

1 所轄庁は、職権をもつて五名以上八名以内の仮理事を選任する。

2 仮理事をもつて構成する理事会(以下、仮理事会という。)は、所定の手続を経て、学長、監事および評議員を選任する。

3 仮理事会は、適当と認める時期に、学校法人名城大学の寄付行為の定めるところによつて理事の選任手続を進める。

三 すでに自発的に辞意を表明し、辞表を調停委員に寄託した教授を除き、名城大学の再建を図るため、退任させることが適当と認められる教職員については、仮理事会において、新たに選任される名城大学の学長および学部長と協議のうえ、所定の手続を経て、その進退を決すること。

四 現に名城大学の学部長、短期大学部長、教職課程部長および図書館長である者ならびに協議会の構成員である者は、その役職を辞任することとし、辞表を調停成立の日までに調停委員に寄託すること。これらの者は仮理事会が必要と認める期間、上記の職に就任しないこと。

五 名城大学の協議会、教職員組合および学生会の代表者によつて構成するいわゆる三者審議会は調停委員が指定する日に解散し、入学試験手数料、入学金、授業料等の学校法人に帰属すべき金員の保持者は、当該金員を、その収支の状況を明らかにした書類とともに調停委員が指定する日に管理人に引き渡し、管理人はその金員および書類を仮理事会に引き継ぐこと。

六 名城大学の創立者故田中寿一氏の学校経営方針には批判の余地があつたとしても、創立者としての功績は無視することはできない。この観点から、田中家の立場を尊重し、その遺族に対しては、特別の優遇方法を講ずること。この趣旨にもとづき、学校法人名城大学の設置する東京テレビ高等技術学校は、同法人の経営から分離して別個の学校法人の経営とし、当該法人の役員に故田中寿一氏の遺族を含めること。

七 学校法人名城大学の役員および評議員を辞任する者ならびに名城大学の学長または教授の職を辞任する者に対しては、仮理事会が、退職金、慰労金、報酬等について調停委員の示す別紙基準により相当の処遇をすること。

八 学校法人名城大学の紛争に関連して行なわれた昭和三四年八月以降の教職員の人事については、仮理事会において検討のうえ、善処すること。

九 学校法人名城大学の紛争に関連して提起された訴訟に係る訴訟費用および弁護士費用のうち仮理事会において相当と認めるものは、学校法人名城大学が負担すること。

一〇 学校法人名城大学の役員の地位をめぐる訴訟は、すべて調停成立後すみやかに取り下げ、その相手方は、これに同意すること。

一一 名城大学の協議会、教授会および教職員一同は、この調停条項の実施ならびに名城大学の再建のために必要な諸規則の改訂および整備については、仮理事会および理事会に協力すること。

別表(一)

番号

裁判所

事件番号

事件名

当事者

結果

備考

原告(申請人)

被告(被申請人)

1

名地

三〇(ワ)一四四一

理事長地位確認等

名城大学

田中寿一

今岡正益

野村均一

2

三〇(ワ)一四五三

理事長地位不存在確認等

伊藤万太郎

高阪釜三郎

田中寿一

名城大学

3

三〇(ヨ)七三四

理事長職務執行者選任

今岡正益

田中寿一

4

三〇(ワ)一六九三

学長地位不存在確認

田中寿一

名城大学

大串兎代夫

5

三〇(ワ)一六九四

理事長地位不存在確認等

田中コト

名城大学

伊藤万太郎

6

三一(ワ)七九四

理事者地位不存在確認

田中寿一

伴林ほか

右同ほか

7

三一(ワ)一七五一

増俸実施差止

田中コト

守田広海

名城大学

8

三二(ワ)九七

損害賠償謝罪広告

原告

伊藤万太郎

矢野勝久

9

三二(ワ)一四七

右同

原告

広浜嘉雄

10

三三(ヨ)一六〇

理事義務執行停止

伊藤万太郎

高阪釜三郎

小島末吉

田中寿一

11

三三(ワ)一一二七

理事選任決議無効確認等

田中寿一

小島末吉

名城大学

(註) 裁判所名の名地は名古屋地方裁判所を指す。

別表(二)

番号

裁判所

事件番号

事件名

当事者

結果

備考

原告(申請人)

被告(被申請人)

1

名地

三四(ヨ)六九七

学長罷免等の効力停止等

日比野信一

名城大学

(田中寿一)

認容

2

名高

三五(ネ)四

右同

名城大学

日比野信一

控訴取下げ

1の控訴事件

3

名地

三四(ヨ)七一四

学長呼称禁止立入禁止

名城大学

(田中寿一)

右同

却下

4

名高

三五(ネ)五

右同

右同

右同

控訴取下げ

3の控訴事件

5

名地

三四(ヨ)七二五

理事地位保全

小島末吉

名城大学

(田中寿一)

認容

6

名高

三五(ネ)六八

右同

名城大学

小島末吉

控訴取下げ

5の控訴事件

7

名地

三四(ヨ)一〇九八

理事長呼称禁止等

原告ほか

水野保一

取下げ

8

三四(ワ)二二二一

理事長地位不存在確認

右同

右同

右同

9

三五(ヨ)一二〇

理事職務執行停止

日比野信一

小島末吉ほか

名城大学

原告ほか

右同

10

三五(ワ)二一八

理事長地位不存在等確認

右同

右同

右同

11

三五(ワ)二七〇

理事地位存在確認

小島末吉

名城大学

認諾

12

三五(ワ)二七一

学長地位存在確認等

日比野信一

名城大学

(原告)

同右

13

三五(ヨ)一五二

理事職務執行停止

右同ほか

河野省告ほか

取下げ

14

三五(ワ)六八〇

理事長選任決議無効確認

兼松豊次郎ほか

原告

同右

15

三五(ヨ)五二八

六八二

理事地位保全等

原告ほか

名城大学ほか

認容

16

名高

三六(ネ)一〇三

右同

名城大学ほか

原告ほか

控訴取下げ

15の控訴事件

17

名地

三五(ヨ)七〇一

七一五

決議の効力停止等

日比野信一

名城大学ほか

認容

18

名高

三六(ネ)一〇〇

右同

田中健児ほか

日比野信一

休止満了

17の控訴事件

19

三六(ネ)一五〇

右同

名城大学

(原告)

右同

控訴棄却

右同

20

名地

三五(ヨ)七四一

理事地位保全

大野富之助

名城大学ほか

認容

21

三五(ワ)一五一三

理事地位存在確認

原告ほか

同上

22

三五(ワ)一九〇一

理事長地位存在確認

原告

名城大学

(浦部全徳)ほか

23

三六(ワ)三二

学長地位存在確認等

日比野信一

名城大学ほか

取下げ

24

三六(ワ)四四

理事地位不存在確認等

右同

右同

右同

25

三六(ヨ)一三〇

理事職務執行停止

右同

伴林ほか

26

三六(ヨ)二二六

当事者参加

原告

日比野信一

25の参加事件

27

三八(ヨ)一四七

日比野信一

名城大学

(脇坂雄治)

25に併合

28

三六(ワ)九二

理事長地位確認

原告

日比野信一ほか

29

三六(ヨ)二五二

入学許可禁止

右同

日比野信一

取下げ

30

三六(ヨ)二五三

理事長職務執行許可

右同

名城大学

右同

31

三六(ヨ)二七一

右同

右同

日比野信一

右同

32

三六(ヨ)三二三

右同

右同

名城大学

(脇坂雄治)

却下

33

三六(ヨ)二〇九

理事長職務執行停止

日比野信一

原告

34

三八(ヨ)一四八

右同

右同

名城大学

(脇坂雄治)

33に併合

35

三六(ヨ)二五一

保持金員引渡

名城大学

(原告)

加藤真一ほか

却下

36

三六(ヨ)七四一

右同

右同

日比野信一ほか

一部認容

35に併合

37

三六(ヨ)八一五

当事者参加

原告

加藤真一ほか

却下

35・36の参加事件

38

三六(ヨ)八一六

右同

伴林ほか

右同

右同

右同

39

名高

三七(ネ)一五三

保持金員引渡

日比野信一

名城大学

(原告)

36の控訴事件

40

三七(ウ)七四

強制執行停止

右同

右同

却下

41

名地

三六(モ)九〇一

学長地位保全仮処分取消

名城大学

(原告)ほか

日比野信一

認容

42

三六(モ)九〇二

右同

原告

右同

右同

43

名高

三七(ネ)一五四

右同

日比野信一

原告ほか

41・42の控訴事件

44

三七(ウ)七二

強制執行停止

右同

右同

認容

45

最高

三七(ク)一四〇

一四一

抗告

原告ほか

日比野信一

棄却

44の抗告事件

46

名地

三六(ワ)一二六

報酬金請求

栗田吉雄

田中卓郎

47

三六(ヨ)八五四

理事地位保全

田中卓郎

名城大学

(小島末吉)

認容

48

名高

三六(ネ)六六一

右同

名城大学

(脇坂雄治)

田中卓郎

47の控訴事件

49

名地

三六(ワ)一二二一

賃金支払地位確認

三木新

名城大学

(兼松豊次郎)

認諾

50

名高

三六(ラ)一三八

補助参加申出却下決定に対する抗告

日比野信一

認容

51

三六(ラ)一三九

特別代理人選任申請却下決定に対する抗告

同右

50に併合

52

名地

三六(ワ)一二二一

賃金支払地位確認

三木新

名城大学

(兼松豊次郎)

却下

50・51による差戻し後の49

53

名高

三七(ネ)三四二

右同

右同

右同

控訴棄却

52の控訴事件

54

最高

三八(オ)五一四

右同

右同

右同

53の上告事件

55

名地

三六(ワ)一六三四

賃金支払

中村薫ほか

右同

却下

56

名高

三六(ネ)六一五

右同

右同

右同

控訴棄却

55の控訴事件

57

名地

三六(ワ)一六四三

右同

大串兎代夫

右同

却下

58

名高

三六(ネ)六二二

右同

右同

右同

控訴棄却

57の控訴事件

59

名地

三七(ヨ)四八

登校承認等

守田広海

村井藤十郎

取下げ

60

三七(ワ)三二五

理事・理事長地位確認

原告

名城大学

(兼松豊次郎)

訴状却下

61

名高

三七(ラ)七九

訴状却下命令に対する抗告

右同

右同

認容

60の抗告事件

62

名地

三七(ワ)一三五三

理事・理事長地位確認

右同

名城大学

(兼松豊次郎)ほか

却下

60による差戻し後の60

63

名高

三七(ネ)六三四

右同

右同

右同

取下げ

62の控訴事件

64

名地

三七(ヨ)四八三

理事長職務執行妨害禁止

名城大学

(原告)

日比野信一

右同

65

三七(ヨ)七四二

右同

右同

右同

66

三七(ヨ)七五九

学長職務執行停止

右同ほか

右同

却下

67

名高

三八(ネ)二〇六

右同

右同

右同

66の控訴事件

68

名地

三七(ワ)一七八一

学長地位不存在確認

右同

右同

69

三七(ヨ)一二六〇

学生募集禁止

名城大学

(原告)

右同ほか

却下

70

三七(ワ)一〇七四

理事等地位不存在確認

小島末吉

原告ほか

71

三七(ワ)一〇八七

右同

近藤良男

右同

70・71に併合

72

三八(ワ)一〇〇五

右同

小島末吉ほか

名城大学

(脇坂雄治)

73

三七(ワ)一九〇九

預金支払

安藤孝

74

三八(ワ)四四〇

賃金支払

鈴木庄五郎

名城大学

(兼松豊次郎)ほか

(註) 一 裁判所名の名地は名古屋地方裁判所、名高は名古屋高等裁判所、最高は最高裁判所を指す。

二 当事者欄の名城大学の下に( )で記載したものは、当該事件において名城大学の代表者とされていたものであり、そのうち脇坂雄治は裁判所の選任した特別代理人である。

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